タリーズにて
家の近所に、タリーズが出来た。オフィス街の真ん中で人通りも多い場所がら、いつも満席だ。何時間いても苦情はないし、大テーブルの脇にはPC用の電源まで付いている。おひとりさまはたいていPC操作で余念がなく、つれと来ている人はボックス席でチャットしている。相互に無関心なことが居心地いい。何もスケジュールがない日は、この店で最低2時間はぼんやりしている。
朝からワイドショーは北朝鮮のミサイル発射を声高に叫んでいた。ネットの言説を見ると、楽観論と悲観論が相交じってどれが真実か分からない。20世紀には、地上波のテレビの伝えることはほぼ信じていたのだが、21世紀はすべてが相対化されて、結局は自己の直感で選び取るしかない状況となった。
ミサイルが発射されて、日本海に落下した様子が不分明ながら捉えられて紹介されていた。そこにある危機なのかもしれないが実感がわかない。ふと、タルコフスキーの映画「サクリファイス(犠牲)」を思い出した。
核戦争が勃発して、大陸間弾道弾がいくつも大空を通過していく。老人と子供はそれを見上げている。普段と変わらない日常にあって、その「飛行機雲」だけが異変。だがそれとて奇異には見えず、「終わりなき日常」の中に二人はるように見える。が、その数分後には大きなカタストロフが待っていることになるのだが。
こんなことがあるのだろうか。今呑気にタリーズでお茶している私。そのあとに襲うであろう災厄。
69歳まで生きた私はいい。だが幼い子供は、これから生まれようとする命はどうなるのか。そこに引っかかるものがある。
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