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大江さんの新作

 大江健三郎賞、『さよなら、私の本よ』

 昨日、大江健三郎賞が出来たことが報じられていた。作家生活50年を期して設けたとのこと。選者は大江さん一人で賞金はなし、といういかにも大江さんらしい賞だ。70歳にして健在が分りうれしかった。
本屋の店頭に大江さんの新作が並んでいた。『さよなら、私の本よ』だ。今年春、「群像」で連載されて出版が待たれていた作品だ。
 私は雑誌に第1部が掲載されたとき、すぐ感想を書いて「群像」編集部に送った。それほど面白かったのだ。老年に入っても依然創作力の旺盛な大江さんに励まされる思いがした。以下は、その感想文だ。
* *
 『さよなら、私の本よ!』第1部を読みて
昨日23日、「群像」2005年1月号の大江さんの長編小説を読み、興奮しています。
なるほど、「むしろ老人の愚行が聞きたい」でありました。読み終えて、何かいきりたつものを感じています。すぐに浮かんだのは、ジェームス・ボールドウィンの「次は火だ」という、大江さんの本で教えられた言葉でした。

 私が大江さんの作品をはっきり意識した頃、大江さんは「最後の小説」を執筆中でした。その最後の小説という表現が波紋を投げそして広げ、「燃え上がる緑の木」まで続いたことを思い出します。なぜこの言葉に評論家たちはざわめくのか、私には解せないことでした。
 そして、「レイトワーク(後期の仕事)」。ストックホルムの受賞から、一時の中断を終えられて大江さんは次々と作品を発表されました。「宙返り」「取り替え子」「憂い顔の童子」。まさに大きな物語ではなく、作家とその周辺の重大な出来事が変奏曲のように生みだされていました。中で、「憂い顔の童子」だけは、他の2作と違う種類の作品かなと、漠然と考えていましたが、今回の「さよなら、私の本よ!」で、その推測は違うということを知りました。
 「取り替え子」の中で、「田亀」という交信装置が出現したとき、驚きました。それはウォークマンのような携帯録音機のようなもので、残されたテープの吾良の「声」を聞くものと想像しました。不在となった吾良と交信するという仕組みの卓抜さには、あっけにとられましたが、一方首をひねる部分もありました。残されたテープを聴き終えたらどうなるのだろう。すべてのテープを聴取しおえたら、交信はそこで終わりということかなと、この装置の有限性を感じていました。
 そして、今回の新しい装置、挑発するヴィデオカメラです。これは完璧です。無限に交信できるはずです。古義人ともうひとりの古義人があれば永久に続くのです。カラー印刷のずれのように、ダブって実在するもうひとりの自分があれば。このずれのすき間に吾良や篁や金澤が、割って入ってくるのですから。
 では、この装置は古義人が現実に体験したり出会ったりしたことや人でないと働かないのでしょうか。古義人以外に使える人はいないのでしょうか。
 クロード・ランズマンの映画「ショアー」を想起します。彼はアウシュビッツの消された記憶を記録しようと立ち上がります。ハンナ・アーレントが「忘却の穴」と呼んだものへの挑戦でした。辛うじて、本当に奇跡的に生き延びた「サバイバー」から、時間をかけて執拗に記憶を掘り起こします。映画「ショアー」の9時間におよぶ長さからも、その労作が分かろうというもの。そうやって「穴」に照明をあてても、依然穴の暗黒は消失しなかったのです。誰が、あのガス室の中でのことを記憶しているでしょうか。体験したものは皆死者となっていた。
 そして、今回の作品に出現した「挑発するヴィデオカメラ」の場合――
 《ヴィデオカメラで撮影しながら老人同士で話す。相手の言うことに聞き入る。・反論もするというふうにやれば――いったん死んで向こうに行ったかれらだが、自分と一緒に戻って来たと感じている者らとの対話を自由に展開できるのではないか?しかもそれはヴィデオテープに記録されているのだ…
 もちろん、ヴィデオカメラは向こう側から帰った者らの姿を写さず、その声も録音されない。しかしこちらはかれらの姿を見、その声を聞いているのだ。カメラに向けて働きを及ぼすことは無理でも、自分の耳には聞こえている声を繰り返してやれば、自分自身の発言に合わせて「対話」は残る。》
 これは作家の幻影でしょうか。私にはとてつもないリアリティを感じるのです。歴史の忘却の彼方に沈んでしまった人々やくさぐさを、装置が掘り起こしてくれるのではないか。そういう期待を抱かせるには十分です。
別に、この装置だけが歴史の塵となり霧状に広がりぼやけたものを凸レンズのように焦点化させて形を明確にさせるわけではありません。大江さんはこの物語を通して歴史の大きなうねりを顕在化させようとしているのではないでしょうか。先に、大きな物語でなく作家の周辺の出来事と記しましたが、この作家は私小説の小さな世界に退却していて大きな物語を閑却しているわけではありません。
 自爆テロという語から喚起されて古義人の中に起こる連鎖反応。講和条約締結直後の不発のクーデター、ミシマの市ヶ谷決起、それから続く、現在のイラクへ出撃する沖縄米軍基地への襲撃。もしくはこの東京で連日起こる自爆テロ。これへの唆し。――はたして老人の愚行(か)続編が待ち遠しい。
                           (テレビプロデューサー)

大江さんの新作_c0048132_15475085.gif


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by yamato-y | 2005-10-06 15:32 | 登羊亭日乗 | Comments(0)
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