30年前の詩集が出て来たよ
1971年発行の寺山修司編『男の詩集』が書架からころがり出てきた。
前に読んだときは気が付かなかったけど、こんな詩が載っていた。
砂山の砂を
指で掘ってたら
真っ赤に錆びた
ジャックナイフが 出て来たよ
どこのどいつが 埋めたか
胸にじんとくる
小島の秋だ
裕次郎の「錆びたナイフ」だ。小島の秋ってどこだろう。啄木の「東海の小島の磯の―」の小島か。脱力した、日曜の朝の、めぐりの悪い頭でぼーっと考えてみる。
15歳の寺山の俳句もみつけた。
便所より青空見えて啄木忌
72年秋にこの詩集を買ったのは、大阪梅田の旭屋だった。手にとって「さびしき野辺」を読み、買うことをきめた。
いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行った
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のように
立原道造の詩だ。
この詩集で谷川雁の「雲よ」、吉本隆明の「火の秋の物語」を知り、八木重吉の「ことば」を味読した。寺山は「私の書いた詩が新聞に載ったりしなかったら、私はボクサーになっていたかもしれない」と書いていた。
東京へ転勤したら、渋谷の裏通りで寺山を見かけた。不機嫌そうな顔で白いダスターコートをまとって歩いていた。
しばらくして同僚が「テラヤマシュージが下着を盗んでつかまったぞ、あの路地で」とささやいた。
感動した。まるで聖ジュネだ。
煙草くさき国語教師が言ふときに明日といふ語はもっともかなし
東北の鄙びた学校の校舎に立っている自分が、いる。
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