映画「蝉しぐれ」について
前回の記述で、詫びておかなければならないことがある。映画「蝉しぐれ」のことだ。
見もしないで「朝日新聞」の評の尻馬にのって、ブログを書いたがこれは軽薄だった。
というのは、藤沢が亡くなった後の平成14年に書かれたエッセーで、黒土三男は「蝉しぐれ」について熱い思いを語っていた。一途に映画化したいと願い、それに向かって凄まじい努力を傾けていたことを私は知ったからだ。今朝、本棚にあった藤沢周平全集の中からその黒土の一文をみつけた。
「いのいちばん」という、そのエッセーで黒土は「蝉しぐれ」のクライマックスを定めたと指摘したポイントはまさに私も考えていたところだった。
主人公文四郎が父の屍を大八車に乗せて我が家へ向かうシーンだ。
《衆人環視の中を、文四郎が黙々と歯をくいしばって、大八車を引くのだ。そこに何の説明がいるだろうか。
藤沢さんという作家が凄いのは、ここでおふくを登場させたことだ。車を引く文四郎の最後の力を尽きた時、振り返るとそこにおふくが居て、黙って車を引くではないか。》
黒土はここで感動している。これを映像化しようとしている。見たい。
他の映像化に失望していたので、やや私は早とちりをしたようだ。
(話はつづく。次は藤沢文学の秘密について書く)
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング