藤沢周平の思い出

かつて取材した天野忠をおもいだした前回に続いてもう一つ。
藤沢周平ブームだ。山田洋次監督が「たそがれ清兵衛」で口火を切って以来(実はその3年ほど前から)、映画化、テレビ化がひろがった。今も「秘太刀、馬の骨」が放送中であり映画「蝉しぐれ」がまもなく上映という状況だ。本屋の店頭には藤沢本が平積みされている。
以前から私も愛読していたが、これほどもてはやされると少しひるむところもある。藤沢自身派手なことや目立つことを嫌った人だけに、今のブームをどう見ているだろうか。
藤沢が急死したときは覚えている。これであの「武家もの」が読めなくなると落胆したのだ。その時点で藤沢作品の3分の2しか読んでいなかったので、後は一度に読むのが惜しくなった。「貧乏人のご馳走」ではないが、美味しいものは後回しにするように、少しづつ読み進めることにした。やがて全部読んだ。
私が好きな理由ははっきりしている。俳句の世界と上質のミステリーが入り混じっているということ。凛とした文章で品があること。
だから、あまり「市井もの」は好きではない。こじつければ、山本周五郎の『長い坂』の系譜に連なる作品群が大好きだ。
私は藤沢がかつて小学校の教師をしていたエピソードが好きだ。結核で教壇を去った教師と教え子がその後も長くつながっていたという話だ。これを番組にしたいと思って、奥様に連絡をとったことがある。そのとき、奥様は固辞された。死後ますます盛名となる藤沢をねたんで、心無いことを噂する輩もいて、奥様を悲しませたのだ。このときのことは、あえて個人名は出さなかったが、8月29日のブログで事情を少しく書いた。
生前の藤沢周平に、私は一度だけ取材し会ったことがある。
(この話はつづく)
来られた記念にランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング