中西萩置
先生は俳句の結社を主宰していて、俳号を萩置と称した。
向井去来生誕300年をむかえて、地元では去来ブームが起こった。先生も新聞に連載をはじめた。それをヒントに番組を企画し、先生に教えを乞うた。
番組のタイトルを考えたとき、先の薄塚のイメージがあったので、「穂影の人」とした。
ホカゲと辞書で引くと、帆影、灯影とあって、穂影はない。穂影では変ですかと尋ねると、先生は俳句の世界ではそういう造語は許されますよと、支持してくれた。
先生は勉強家で夜遅くまで調べ物をした。そして面白いことに気付くと、1時であろうと2時であろうと時間などお構いなしに私の所へ電話をしてくる。 時には珍しい一文を見つけたから見にこいと言われ、車を飛ばして先生宅へ行ったこともある。呼びつけておきながら、私が玄関の戸を開けると不思議そうな顔をする人だった。ある時、茶菓子にくずざくらが出されたことがあってゲタゲタ笑うと、先生は怪訝な顔をした。
先生はけっして木石ではなかった。長崎で言う「のぼせもん」だった。
長崎くんちが大好きで初夏の頃からしゃぎり(祭の笛太鼓)が聞こえ始めるとそわそわする人だった。そして秋天の、今頃ともなれば、庭見せの各戸の玄関を楽しそうに眺めて歩いていた。
くんちは10月半ば諏訪神社の境内で盛大に開かれる。出し物がいいと観客から「もってこーい」のアンコールがかかる。先生はくずざくらの目を細めて見やっていたのを忘れられない。
先生は先年急死した。東京に戻っていた私は訃報に接して呆然とした。
今年もまもなくくんちがやって来る。
来られた記念にランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング