中西啓先生
中西啓先生は痩せて背が高く、首がひょろひょろしてキリンのような風貌をしていた。
いつも潤んだような眼で、我が家では「くずざくら」とあだ名していた。
先生のお宅は長崎の中心部古川町にあって、江戸時代から続く医者の家だった。古びた屋敷にお姉さんといっしょに住んでいた。一度結婚したらしいのだが、私の会ったときは独り身だった。
蔵書がすごかった。先生はいわゆる書痴、愛書家だった。たえず本を漁っていた。長崎関係の書物が出ればすぐ買い、古書のカタログはたえず目を配った。勤務医としての収入のほとんどをつぎこんでいた。
初めて会った頃の先生は失意の中にいた。昭和57年に発生した長崎大水害で家屋が床上浸水したのだ。万巻の書はすべて水をかぶった。昭和の本は紙が酸性でもろく、江戸時代の和本は紙が張り付いた。一枚一枚はがし天日に干した。気の遠くなるような作業だった。
貴重なキリシタン関係の書物もずいぶん反古になったのではないだろうか。くずざくらは一層潤みを増した。
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