ブラームスを聞きながら
今週は、月曜から金曜までの5日間、番組リサーチを行っていた。企画を立ち上げ本撮影に入る前に、そのテーマの概要をゆるやかに把握するのだ。久しぶりに番組作りに関わりいささか興奮した。 といっても作業はきつい。とにかく朝11時から夕方5時まで、休憩なしで一軒の家にあるすべての遺品を調べるのだ。体は動かさないのだが、疲れがひどい。
ひとつひとつの品物の由来、関係などをあたりをつけて検分するのだから、見た目以上に神経を使う。
東京西南、洗足池のほとりにそのお宅はあり、そこの主は昨年6月に58歳の若さで死去した。魂のヴァイオリニスト若林暢さん。26歳のとき、結婚で渡米し、ジュリアード音楽院に進んだ経歴をもつ。優秀な暢(のぶ)さんは、そこの名物教師ドロシー・ディレイに可愛がられ、めきめき腕を上げる。1年後にニューヨーク国際芸術家コンクールで優勝、その秋にはポーランドで開かれたヴィニエフスキ音楽コンクールで入賞するなどめざましい活躍をする。
そして、カーネギーホールで初のリサイタルを開くほどになった。ひとも羨む栄光に包まれていた。其の彼女が、10年後に日本へ帰国したが、それほど大きな活躍もせず、評判もとらないまま人生を送ったとされる。
その存在は一般の人には有名ではなかったが、音楽家のなかではその実力は高く評価されていた。つまり素晴らしい演奏家でありながら、その存在は世間にはほとんど知られずに一生を終えることになったのだ。なぜだろう。其の謎を解いてみたい思いに駆られた。前取材を始めたのだ。
暢さんはライブの演奏を重んじて、レコード録音には消極的な人だったので生涯2枚しかCDを残していない。ロンドンとケルンで収録している。そのひとつ、ロンドンで録音した「ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を本日聴いた。
ーなんてはろばろとした音色か、繊細であでやかで優しい響き。聞くうちに若林暢の世界にすっかり引きづり込まれた。魅了された。こんな素晴らしい才能がなぜスリープすることになったのだろうか。今の私には気になって仕方が無い。
最後に弁解めくが、若林暢は生前まったく無名であったわけではない。地方の公演を丁寧に廻り、若い高校生の才能を導くことに力を入れたとして知られてはいる。だが、海外で活躍していた暢さんの栄光は、後年の日本ではほとんど省みられず、知る人ぞ知るという状態であった。その人が、死後出したCD「魂のヴァイオリニスト」が今人々の心をとらえてはなさない。
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