夏の終わりに
集中講義のため、この1週間は京都にいた。朝から夕刻まで連続の講義が5日間も続く。ほっこりもしたが、学生らのキラキラした眼差しに語ること充実を感じた一週間だった。
おりしも真夏日が失せて秋風の吹く時期と重なり、過ごしやすい日々が続くことになった。暮れると、美しい半月が東山の上にぽっかり浮かんだ。
二人の亡き人を偲ぶことになった。一人は12年前に教えたF君。もう一人は40年前職場で机を並べたHさんだ。F君は7月末に34歳の若さでこの世を去った。死因は白血病。鹿児島の高校教師であった彼の葬儀に50名の教え子が参列したと聞いた。寡黙で心優しいF君らしいエピソードを追悼の集いで聞いた。その集いは出町柳の鴨川デルタで行われた。同級生たち5人が仕事を終えた午後6時、京大吉田キャンパスからほど近い鴨川の河原に集まり、F君の在りし日の想い出を語り合うこととなった。穏やかな夜で、鴨川のせせらぎが懐かしく耳に響いた。
このデルタは、「ドキュメント72時間」にも登場して、そこに集う若者群像を描いて評判になった「聖地」。私らもそれに倣って、デルタの最先端の「剣先」に円陣を組んで、亡くなったF君の冥福を祈った。1分間の黙祷の間、鴨川のせせらぎがやけに大きく響いた。F君の人生を思うと、同じ鹿児島出身で高校教師であった、俳人篠原鳳作の短い一生とその代表句が浮かんで来た。
しんしんと肺碧きまでの海の旅
もう一人のHさんのご自宅は山科にあるので、講義をすべて終えた土曜日の午前に訪問した。奥様と長女のともちゃんが私を待っていてくれた。78歳になっても頑健でかくしゃくとしていたHさんが、突然この春におなかに痛みを覚えて入院したそうだ。調べてみると膵臓にやっかいな癌が発生したのだ。それから数ヶ月の病と闘って、Hさんは幽冥の境を越えて行った。病と闘ってと記したが、尊厳死協会の幹部でもあったHさんはすべての治療を放棄して、静かな末期を選んだと、奥様から聞く。
Hさんのお宅を辞去して、京阪電車で三条京阪の駅まで向かう。ここで大阪に住む長女とその連れ合いと待ち合わせて、北白川のお寺を二つ訪ねた。曼殊院と詩仙堂である。両方とも夏の終わりとあって参拝する人が疎らで、実に穏やかで楽しい時間をおくることができた。
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