東京国立博物館
縄文ドリームタイム日記主人も記していたが、たまにミューゼアムには行ってみるものだ。
私も昨日上野の東京国立博物館(東博)へ久しぶりに行って、日頃忘れていた感動をもった。
取材で出かけたので東博の部長が、部外の者がなかなか立ち入れない所も見せてくれた。
元々、この地は江戸時代寛永寺の寺域だった。その名残りが庭園にある。小堀遠州が造園した回遊式の立派なものだ。応挙館という数奇屋があり、江戸時代この家で高僧が眼の治療を施し、「門前、市をなす」ほど賑わった搭頭であったという。その患者に円山応挙や小堀遠州がいたそうだ。お礼に庭を造り、画を描いたことから応挙館になったと部長は説明した。内部には見事な襖絵がある。
園内には大正、昭和の数寄者として有名な益田鈍翁の茶室もあった。この館で有名な佐竹本三十六歌仙の絵巻を切断したそうだ。大金持ちの道楽にふさわしい侘びた佇まいが得も言われない。
この庭園は寛永寺の墓所でもあったので、有名な大名の墓もあちこちにある。鍋島公の奥津城が半ば朽ちてあった。広大な庭は立派な木が茂り秋の草花が咲き初めていた。
東博本館の場所には、寛永寺の本坊があった。戊辰戦争、彰義隊の戦いで焼失した跡地に、東博の前身帝室博物館が出来た。ここには数々の歴史があるのだ。
明治に入り、廃仏毀釈で京都奈良の大寺院は窮乏におちいったとき救ったのを契機に、皇室へ献納した品が今東博の宝となっている。
東博には本館、東洋館、平成館と並んで法隆寺館がある。谷口博士の設計による美しい建物だ。建物の前景に池がある。水面に接するかのようにシンプルで白を基調とした美しい建物が法隆寺館である。その1階の金銅仏の部屋こそ夢幻の中にさ迷いこんだ心地のする場所だ。薄闇の中に百体ほどの御仏が間接光の照明を浴びて鎮座している。まるで闇の中に仏が浮かび上がるようだ。参観者も少なく、そこにいれば時間はあっという間に経つ。
そして心に深く残ったのが残欠や裂であった。幡や衣の一部であろうが、もろく壊れやすいかげろうのような儚さを帯びながら、鮮やかな色合いを残している。聖徳太子の時代がそのまま残っている・・・。明日香村のあの地形の中にへんぽんと翻る幡を一瞬幻視した。
日本の博物館はヨーロッパと違って「滅亡と時間」との戦いですと言った部長の言葉がよく分かった。光に焼けやすいのでたとえ人工照明でも限られた時間しか展覧しないそうだ。だが、ぜひこの品を見に行くことだけでも、博物館へ行く価値があると私は思った。

久々に、日本というものをしみじみ考えた。
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タイトルを忘れたが、今の展示は「まねる、うつす」というコンセプトで
面白いことがたくさんある。
模写しているのが横山大観のような巨匠だから、模造品といえども別の価値がある。