新しい芸風
25日の夜、私の送別会を開いていただいた。6時半にオフィスの会議室で手作りのケータリングを準備していただいて始まった。ウィークデイの宵にもかかわらず思いがけない人の数で、多忙のなか足を運んでくれた仲間の気持ちに感謝そしていささか恐縮。
宴たけなわのところで、かつての部下のみなさんが私の思い出を語ってくれたのだが、話を聞いているうちに黙っていられず途中でマイクを奪って乱入した。あまり送別会で挨拶以外で当人がでしゃばるなんてことはないと思うが、一言もの申すの性分が出てしまった。
なかでもTの発言は見逃せず、事の顛末を面白おかしく盛大に語ってしまった。
6年前のあの東北大震災のときのことだ。当日、私とTは神田の高名な画商を取材していた。たしか高山辰雄の作品についてであったと思う。2時、大きな地震が来た。壁にかかった名画がガタガタ揺れて相当大きな地震ということはすぐ知れた。長い振動が続いたあと、外の様子が知りたくて私は往来に出て周りのビルを注意深く見まわした。風景に異常はない。見た目にはさほど被害も出ていない。ただおおぜいの人が通りに集まっていた。ひとまず安心して屋内にもどった。
このときの様子をTは私が地震におびえて外へ飛び出したと話を膨らませた。むろん受け狙いもあっただろうが、いかにも怖がりと言わんばかりで聞き逃すわけにはいかない。彼のスピーチが終わり次第マイクを奪って私はこう言った。
「私が怖がり?Tがそんなこと言えるか。そのあと起きたことを忘れてしまったのか。
交通機関がすべてストップしたので、澁谷のオフィスまで歩いて向かおうということで神田を出発した。ところが秋葉原まで出たところでTはもう行けないと弱音を吐いた。たった一駅でだ。体が疲れたのか、余震が怖いのか分からないがTは動こうとしなかった。こんなときだからこそオフィスに駆けつけるべきと、私は叱咤したがTはいっこうに腰を上げない。痺れを切らして私は単独で歩いて行くぞと宣言。一路澁谷を目指して外堀道路を私はひとり歩くことになったのだ。あのときのことをT君,キミは忘れてはいませんか。(ドヤ顔)」
一気にしゃべると溜飲がさがった。すきっ腹もあって酔いが回った。このバトルににやにや笑う人、下をむいて笑いをこらえる人、会場はすっかり宴会のくだけた雰囲気になった。
こうなると止まらない。ゲストのスピーチにいちいち半畳を私ははさむようになった。(いま思い出すと恥ずかしい。冷静に分析すると私は見送ってくれる人になにか恩返しでもしたいとはしゃいでいたようだ。)
会がお開きになったとき、何人かから面白かった、いい会でしたよと声をかけられて、「ヤッター」と内心快哉を叫んだ。
こうして私の47年のサラリーマン人生は幕を閉じたわけである。
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