哀しみの音、秋の声
中原中也とは、あのおかま帽の写真とはまるっきり違う、口の悪い激しい人物だったらしい。太宰治はいつも泣かされていたと、檀が書いている。
だが詩はとてつもなく美しい。凡人には思いもつかないような語句を選びだし、その語句本来の意味やイメージをガラリと変える。まことに凡庸な表現だが言葉の錬金術師だ。
悲劇的な人生をたどってしまった中原にふさわしく、秋を感じさせる詩が多い。なかでも
サーカスの最後のルフランは、声に出すと冬近い秋を私に思い起こさせる。
サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
これはブランコの綱のしなる音ともいえない。乗り手の声でもない。ただこの風景には
音とも声ともいえない、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」が在る。
やはり、声にもならない音を聞く歌人がいる。シャクチョウクウこと折口信夫だ。
曇る日の 空際ゆ降る 物音や――。木の葉に似つつ しかもかそけさ
晩年、折口66歳のときの歌だ。戦争で息子を亡くし、憤りと淋しさの中にある昭和26年に作られている。折口の「かそけさ」は単に情景を表すだけでなく、哀しみの音すら感じるのではあるが。
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