弱気は最大の敵
2016年12月27日、仕事収め。スポーツジムも本日から来年4日まで休止となる。
さあ、伝票の最後の整理をして、気持ちを新たにしてラストイヤーを迎えることにしよう。
今年最大の事件は、次弟義朗の死。もっと老いたら昔話の本音でも語りたいと願っていたが、ままならない。まさか65で逝くとは思わなかった。2月という年の始めのほうで起きたこのことはずしんとボディに響いた。その後も知人の奥様が50歳という若さ、大学時代の親友が69歳で癌死するなど、早い死にいくつも遭遇することになった。
一方、私自身の健康は、昨年末に手術した前立腺の按配がよく排尿問題は解決。11月には主治医から全治したことを告げられ嬉しかった。さらに2月から通いはじめたスポーツジムは幾度も筋肉痛に襲われたが、欠かさずトレーニングを続けたおかげか、木枯らしの季節になっても風邪ひとつひくことなく、身体すこぶる順調。しかし油断は大敵、転ばぬように注意しよう。
広島カープが25年ぶりにリーグ優勝した。ペナントレース終盤はカープブームが起きた。おすそ分けとでもいうか、ブームに乗って20年前に出した著書「もう一度、投げたかった~炎のストッパー津田恒美 最後の闘い」が新たに9000部増刷となり、書店の棚に奥様の津田晃代さんの「最後のストライク」と並ぶことになった。なんと賞味期限の長い本だろう。
さらに現地広島から講演の依頼が来た。期日は来年2月初頭。1994年5月に放送したNHKスペシャル「もう一度投げたかった」が、なぜ人の心を捉えることになったかを、メディア論的に解体してほしいというムズカシイ御要望。半月ほどアタマをひねって、お話の3分の2ほど構想したが、残りは年末年始に作り上げることにするつもり。しかし、この番組の大きなキイワードが「弱気は最大の敵」という言葉。津田投手は座右の銘にしていた。忘れないよう、自分に言い聞かせようと、愛用の練習ボールに黒いマジックインキで黒々と書いた。放送はそれだけの情報を伝えただけだ。
だが放送終了後、思わぬ情報が飛び込んでくる。この言葉を彼に教えたのは私ではないだろうかという人物から連絡が入ったのだ。驚いた。
その人物は早稲田大学のエースだった道方投手だ。津田さんが南陽工業高校の野球部部員だった頃、東京から来て部員たちに野球指導を行っていた。そのなかで、めっぽう美しくダイナミックなフォームで投げる津田さんに目をかけて指導した。素晴らしい球威球速をもっているにもかかわらず元来の「蚤の心臓」で、緊張するとすぐ崩れるという難点があった。道方さんはそういう彼を励ます意味で、「弱気は最大の敵」という言葉を贈っていた。田舎の高校生だった津田さんの胸に大きく響いたに違いない。彼は死ぬまでこの言葉を離すことなく病と闘ったのだ。
勝負師津田恒美のモットー「弱気は最大の敵」。
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