モカンボセッションの伝説
1954年、7月27日の深夜から28日にかけて日本人ジャズアーチストによる「壮大」な
ジャムセッションが行われた。
朝鮮戦争直後に起きた、「芸能史」的なこの事件を、植木等さんを取材する中で知った。
ドラマー清水潤のカムバックを祝ってのイベントだ。というか、入場料500円の興行収入はすべて彼へのカンパのためだった。ハナ肇、植木等らが呼びかけ人となって、横浜伊勢崎町のジャズクラブモカンボで開かれた。
参加したのは、沢田駿吾をはじめ五十嵐明要、宮沢明、鈴木寿夫ら錚々たるジャズメンだ。そして後にビッグネームとなる若き渡辺貞夫、秋吉敏子らもその中にいた。
そして伝説のピアニスト守安祥太郎が混じっていた。ビバップを取り入れた演奏には、アメリカから来た本場のジャズメンも驚いた。この時より数年前チャーリー・パーカーによって始まったモダンジャズの新しい潮流がいち早く取り込まれていたのだ。
この様子を、あるアマチュア技術者が録音していて、貴重な記録が残された。岩味潔による紙テープ録音である。中古の機材を自分で組み立て、現地に持ち込み4時間近く録音した。守安の伝説的なプレイ「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ハッピー」が残されたのだ。これを聞いた私は驚く。日本にもこんなに激しく燃えていた時期があったのだ。「非常に興奮しました」とあの武満徹も語ったという。
天才守安はこのセッションから一年後、自ら命を絶った。晩年の彼の写真がある。その淋しげな笑いが、私の心をとらえて離さない。慶応ボーイでお洒落で繊細な彼が、最晩年、染みだらけの背広を着ていたと伝記は記している。
彼が飛び込んだ目黒駅。その構内に立って入船してくる電車を見ながら、守安祥太郎は何を思っていたのだろうか、切実に私は知りたい。
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