比呂さんと私
比呂公一さんと私は同年の57歳。30年前スタジオで知り合った。
私はしがないAD、比呂さんは駆け出しの作曲家だった。それぞれ現状に不満をもっていて
いつか自分の番組、音楽をやりたいねと語り合っていた。「そのときは比呂さんのお父さんの番組をやらせてよ」と私は頼んでいた。比呂さんはニコニコ笑っていた。父上とは植木等さんである。
当時、比呂さんは父の存在に反発していたのではないだろうか。「親の七光」と思われたくないと、突っ張っていたのだと思う。父の話題を口にすることはほとんどなかった。
その後、私たち二人の道は分かれていく。私はこどもの音楽番組からドキュメンタリーへ転進し、比呂さんは子ども音楽だけでなくCMのヒットメーカーとして華々しく活躍するようになる。「ミツカン、アジポン」や「カップスター」などおなじみの曲がたくさんある。
昨年秋、社員食堂で久しぶりに顔を合わせた。彼も私も大病を体験していた。比呂さんは波瀾に富んだ人生を乗り越えたばかりだった。そんなことを少しも感じさせない、相変わらず淡々としていた。「最近、お父さんはどうですか」と水を向けると、親父とはようやくわだかまりなしで話せるようになりましたよ、と答えた。
私はすかさず植木さんの番組を作りたい、比呂さんの協力が欲しいとお願いした。
それから半年後、比呂さんから連絡があって、4月以降だったらいいみたいだよと、植木さんの予定を教えてくれ、約束をとりつけてくれた。こうして「植木等特番」の取材が始まったのだ。30年間、あたためた企画がようやく動き出したのだ。
比呂さんにも出演していただくことにした。息子であり音楽家の視点から、「植木等」を見つめてもらうのだ。
この日、植木さんが身を寄せていた本郷のお寺を比呂さんは取材した。厳しい修業を10代の植木さんがしたと知る比呂さんはいつも以上に口数が少なかった。思うところがおおいにあるのだろう。
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