作家の妻
その作家は若い頃妻をなくし幼い子をかかえて苦労したという。初期の作品には
暗い影を落としている。
《死んだ女房と同じ年頃の女たちがしあわせそうにしているのをみると、気持が尖って押さえられなかったものだ。子どもを抱いて町を歩いている若い夫婦連れなどをみると、自分の顔が険しくなるのがわかった。そして逆に、どこそこの若女房が病気で死んだなどと聞くと、人にこそ言わね、心が安らぐのを感じたのである。》
数年後、今の妻と巡り会い、娘を交えて三人のつつましくも仕合せな人生を送ることになった。後期の作品には、謹直な人柄からは想像できないユーモアさえ漂い、暗い影はすっかり失せた。死後ますます盛名をうたわれるようになっている。
作家の若い頃のエピソードを番組にしたいと未亡人に告げたところ、峻拒された。
「プライベートなことは話したくありません」とにべもない返事。どうしてですかと聞きただすと「有名になることは嬉しいことではありません」
近年、その作家がブームとなり彼の人生を描いた本が相次いで出版された。その中に、先の妻をなくした時代に言及するのがあり、醜聞風に書かれた。本人が故人となった今、真偽のほどを確かめる術もない。ましてや、残された家族は辛い。
その作家の作品は人間を根本から励ますものであった。そういう作風を得たのは後に出会った妻によるところが大きいと、娘も推測している。妻は下町の明るい人だったからだ。
そうして、その作家が人生を安らかに送ることができたのに、励ました妻が悲しい思いをすることになるとは、不条理を思わざるをえない。
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