久しぶりの結婚式
新宿のパークハイアットに行ってきた。教え子の結婚式に出席するためだ。
5年ほど前ドキュメンタリー講座で講師を勤めたことがある。そのとき、E子がいた。よくしゃべる子で人懐こい学生だった。
その半年後、日大の放送学科へ非常勤講師で行ったら、そこにもE子がいた。元々日大芸術学部の学生だったのだ。そこで私は半年間教鞭をとった。E子の友達を含めて学生たちとよく酒を飲んだり人生を語ったりした。みんな規格はずれで突き抜けていて面白いパーソナリティばかりだった。日芸の学生は本当にユニークで気持ちのいいやつが多い。
やがて彼らも卒業した。E子は民放系のバラエティ専門の大手プロダクションにもぐりこんだ。
番組を作ることが好きだったのだ。一見調子がいいように見えて、根はまじめだった。どっちかというと不器用の部類に入るかもしれない。地道に努力していた。やがて、そこの古参のディレクターにいじめにあう。彼女は正論を言う。そうすると太刀打ちできないからそいつは先輩風を吹かして彼女を抑圧したのだ。
それまで私はあまり知らなかったが、この世界にはそういうケースが多いと後から聞いた。セクハラ、パワハラは日常茶飯らしい。
だが。私は許せない。ジャーナリストと称している者がすることか。弱いものいじめして何がジャーナリストか。
画面ではきれいごと言っているが、うすぎたない習慣のようなものがこの世界にもあることが悔しい。
E子もつまらないバラエティのディレクターにいじめられた。そのことを私のところに来てこぼすようになった。あるとき、どうしても許せないようなことを彼女はやられた。それを聞いているうちに、私はぷつっと切れた。
やめろ、そんなところ出て来いと彼女に言った。数ヶ月後、そこを出て、私のチームにフリーランスとして参加した。サブデスクのような存在として活躍することになる。
彼女は有能だった。どんどん仕事をやってもらった。でも、彼女のレギュラーの番組は2年ほど続いて廃止になった。それでもこの世界にいて、しなくてもいい苦労をしていた。「いつまでやっているのか、見通しはあるのか」と聞くと、はっきりしない返事が返ってきたので、私はこの世界から早めに足を洗ったほうがいいぞと忠告した。彼女は有能だが表現するというより、マネージメントが向いていると私は思ったのだ。しかもまだ27歳だった。
実家の仕事を手伝うといって、去った。
半年たって、今の彼と結婚すると言ってきた。いいじゃない、そういう成り行きが出てくるなんて。家業を手伝ううち、今の彼と出会い新しい人生をやっていこうと決意したのだ。
そっちへ進んで正解だった。実家は外車のディーラーをやっていた。何より、彼女は人をそらさない話術に長けていたので、その力量が有効となった。将来、新郎もそれに加わっていくという。
そのE子の結婚式に出席したのだ。すごかった。久しぶりに豪華な結婚式を見た。なにしろ宴会だけで4時間かかったのだ。うまい酒と料理がふんだんにでた。でも一言あいさつをといわれていたので、半分しか酔うことができないまま、本番を迎えた。ボロが出ないように、アントニオ猪木の「だーっ」を真似した。
いいですか皆さん。気合を入れて、
イチ、ニイ、サン、 ダーッと。ぶちかましたのだ。E子のお父さんやお母さんはあきれているだろうなあ。
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