映画「スイングガールズ」を見て
この映画の監督は「ウォーターボーイズ」の矢口史靖。今度は、女子高生を使ってのジャズバンドの話と聞けば、明るく楽しいノーテンキな青春映画と期待は膨らむ。DVDを見た。
なるほど主人公となる女子高生たちは明るかった。男子顔負けのブラスをよく吹きこなしていた。
でも、まるで男子高生だ。やることなすこと男の子で、女のマスクを被った男子高校生だった。むろん、女の癖になんていう偏見を前提にしろとはいわないが、ここまで同じであるとつまらない。男女の差異があってほしいと思ってしまった。
この映画は大きく失敗している。構成が破綻しているのだ。話の辻褄が合わない。仕掛けた話は必ず回収する、という鉄則はまったく守られていない。仕掛けるだけ仕掛けて、伏線をはるだけはって、それについての答えや解決が明示されない。例えば、引っ込み思案の女の子が理由(わけ)ありでバンドに参加するが、何の活躍もなく終わる。竹中直人の教師も演奏ができないままジャズバンドの顧問をやっている。そこで、谷啓の音楽教室に通うのだが、これについてもきちんとしたオチはない。なのに、最後の演奏会に駆けつけて、観客席の奥から指揮棒を振るう。その行為にその教師自身感動するのだが、その想いに共感できない。できるための挿話や出来事がまるで描かれていないのだから。
エピソードが粗い。ジャズのアフタービートを交差点を渡る時気付くシーンがある。なぜ信号で流れるメロディがアフタービートにふさわしいのかまったく説明もないまま話は進む。そして主人公たちがノルのだが、観客はノレない。
最初はラッパの音すら出なかった彼女らが、一夏過ぎたらスーパーの店先でグレン・ミラーを演奏できるようになるような「荒唐無稽」にはついていけない。「ウォーターボーイズ」はもう少しきめが細かかった。
別に荒唐無稽がだめだとはいわない。そういうトーンで作るのなら全体に貫徹すべきだが、
ある部分は妙に真面目になったりもする。すると、荒唐無稽は単にオフザケでしかないのかと勘ぐりたくもなる。
ジャズバンドにのめる契機が補習授業をさぼるためというのはあまりに辛い。ウォーターボーイズはもう少し納得できるモチベーションだったと思う。
これほどはっきり欠陥が浮き出ている理由は一つしか考えられない。無理で理不尽な編集がほどこされたということだ。実際に撮影したものをつなぎ合わせたバージョン(ディレクターズカット)であれば、今まで述べたようなことではないと推測する。ただし、その長さは3時間を越えるのではないだろうか。これでは商業映画としてまずいので、プロデューサーは大幅カット(1時間半、せめて2時間以内)を求めたのではないだろうか。
言われた矢口側は分りやすく短縮することはできない。ならば、無理やり機械的に殺ぎ落として時間内に収めた、と私は想像するのだ。だから話が何が何だか分らなくなってしまった。
でも、脚本を書き上げた段階できちんと見通すべきではなかったのか。とりあえずダラダラ書いてそのまま撮って、後は後のことと、多寡をくくったのではないだろうか。
でもこの映画が40億円以上の収益を上げたと聞くと、映画評論家たちの提灯記事や発言は罪深いなあ。「チルソクの夏」のほうがはるかにいい。
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