ああ、沖縄
先日、大江さんが訴えられているということを記した。
慶良間諸島などで起きた「集団自決」の責任者であった人物から、『沖縄ノート』に書かれたことが名誉毀損にあたるというのだ。
今日、久しぶりに『沖縄ノート』を読みかえした。感動した。さきほど、平和アーカイブスで加賀美さんに答える大江さんの考えにも感銘した。大江さんのヒロシマ、ナガサキそして沖縄に対する考えはずっと一貫している。
問題の記述は、日本軍守備隊の責任者であったその人物が集団死から25年経って、慰霊のために沖縄に来た場面である。大江さんはその人物らの指示で島民の集団死が起きたことを示唆している。それは、沖縄タイムスが以前に出版した「鉄の暴風」からよるのだろうが、その記事そのものが信用性がなく、それを鵜呑みにして大江さんが書いたであろうことを、その人物は訴えているのだ。
何か変だ。なぜ40年以上経って訴えるのか。出版されたときになぜそうしなかったのか。
それにしても、『沖縄ノート』でその件を読んで驚いた。その人物は那覇からフェリーで島に渡ろうとしたとき、その船員たちや関係者から乗船を拒否されているのだ。島民にとってある意味をもつ人物を島に渡したくないと考えての行動だろう。なにをしにきたかという問いにその人物は「英霊をとむらいにきました」と答えたと、ノートには書かれている。
この件で彼の経歴について語った部分が訴えられているが、この乗船を拒否された出来事とか抗議をする沖縄の声があったこととか、きわめて重要な出来事と思われるが、そこには立ち入ろうとせず、「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」という部分にしか触れていない。その前後の記述は無視されている。むしろ、そこでわき起こった沖縄の声は何だったのかを問うことこそ歴史の根幹に関わることではないのだろうか。
60年間わたしたちの記憶に刻まれてきた沖縄体験、歴史が、今変えられようとする動きがある。