絶えて泣く
向田邦子のエッセーに「眠る盃」というのがある。
幼い頃、向田は「荒城の月」の歌詞を勘違いしていたという話だ。
♪春高楼の花の宴 眠る盃 影射して
と覚えていた。正解は、巡る盃だ。
言われてみると、そんな気もしてくる。春の宵、お城の高殿で花見の宴がある。宴はながなが続く。殿様が終わろうといわない限り、家来はずっとその席に控えておらねばならない。ときどき、うつらうつらする幼い小姓もいるだろう。盃をもつ手が眠りで覚束無い。だから眠る盃。
いったんこういうイメージが刷り込まれるとなかなか離れないものだ。
私にもある。「故郷の廃家」だ。
幾年(いくとせ)ふるさと、来てみれば、
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変らねど、
あれたる我家(わがいえ)に、
住む人絶えてなく。
昔を語るか、そよぐ風、
昔をうつすか、澄める水、
朝夕かたみに、手をとりて、
遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
さびしき故郷(ふるさと)や、
さびしき我家(わがいえ)や。
故郷の家へ帰ったら家が荒れ果て住む人もなく、思わず主人公は泣く。と私は理解した。
後に、住む人が絶えて無くと分かってからも、住む人絶えて泣くに思えてならないのだ。
この歌を口ずさんでいると、懐かしい感情がわいてくる。硫黄島で玉砕した少年兵たちがよく歌っていたそうだ。悲痛だ。駄洒落を言う暇はないが、あえて絶えて泣く。
この歌の作詞者、犬童球渓は「旅愁」の作詞も手がけている。
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