石だたみの街、長崎
今朝の「新日本紀行ふたたび」で、長崎をとりあげていた。
大浦天主堂から活水にかけての通り、築町の小野原からすみ店、坂で行商するおばあさんを描いていて、二十余年前を思い出し懐かしかった。
私は長崎の放送局に勤務したときに番組制作のテーマは3つと決めた。1つは原爆、被爆者。2つは大水害。3つめはキリシタン。
江戸時代、隠れキリシタンが弾圧にあうことを「崩れ」と呼んだ。1次から4次まであって、4番崩れは明治に入ってから起こった。この「浦上4番崩れ」を私は取材したことがある。遠く名古屋以西40数箇所に、浦上の百姓が流された。その跡を追って津和野まで行ったこともある。
この4番崩れの中心人物の末裔が、片岡千鶴子先生だ。千鶴子先生はシスターで学者でもある。現在、純心女子大学の学長だ。はしたない話だが、美人のシスターだ。化粧もしていないお顔が実に美しい。私は取材と称して先生に会いに行くのが楽しみだった。
プルトニウム型の原子爆弾は、この浦上に落ちた。それが信仰をもつ人たちを苦しめた。神は罪深い日本人のあがないとして、長崎の浦上の地を選ばれた、と理解しようとする信者も戦後長くいたのだ。この惨禍を「浦上5番崩れ」と呼ぶ人もいた。
――そして、私が長崎に行く数年前、ローマ法王が長崎に来た。そこで語った言葉「戦争は人間のしわざです」が、長崎の人たちの大いなる慰めとなった。
被爆40年にあたる1995年、私は千鶴子先生から浦上天主堂で被爆を心に刻むイベントとして、大江父子によるレクチャーコンサートが出来ないだろうかと、依頼された。
前年の秋、おりしも大江さんがノーベル賞が決まった頃だ。かなり過密なスケジュールで安請け合いはできないが、一度うかがってみますと返事した。
そして、1995年5月21日 実現した。実に感動的な催しであった。
《私はそのように信仰をもっていられる方たちの義と私たち信仰をもっていない人間の正義が、出会って、協力しあう、そういう社会を夢見ているのです。》大江さんの言葉は浦上信徒の心に深く沁みこんだのである。
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