去年今年浅蜊(アサリ》も砂を吐きつづけ
これといった大きな不安や悩みをかかえることなく六十八歳の新年をむかえることが出来た。がんたんの朝に届いた年賀状およそ100枚。ひとつひとつ目を通しながら来し方の端のほうに目線が動いていく。
同級生らはほとんど仕事をしていない。おまえはまだやっているのかと冷やかすような文言が賀状のなかに散見された。高校時代の友人kは、毎日じかんをどうやって潰そうかとこころをくだいている辛さをぼそっと呟いていることに深いかんめいを持った。
近年、自分の歴史時間の感覚が曖昧になってきた。父が死んだのは1994年の春だったか明けて95年の初夏だったか。京大で教鞭をとるようになったのは、冬ソナのキャンペーンを始めた2014年春だったかそれともその前だったか。じかんの軸が判然としなくなってきた。そこで自分の記憶をきたえるために、1994年以降の自分の個人誌を作り直そうと考えるに至った。
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