2015年クリスマスイブ
午後7時、家に帰り着くと、長崎から小包が届いていた。差出人は純心学園の理事長でシスターの片岡千鶴子先生だ。毎年、この聖誕節になると先生は自ら調理したクリスマスのアップルパイを送ってくれる。今年も届いた。同時に、被爆70年目となった純心の記憶を綴った「純女学徒隊殉難の記録」という書籍も同封されていた。
昭和57年、私は長崎へ転勤した。そこで最もこころを奪われたのは、長崎に古くから伝えられてきたキリシタンの教えであり、その伝統を今も
守っているカトリックの信徒たちであった。その人らの心底が知りたいと最初に制作した番組が「浦上四番崩れ」で、そのメインの出演者が片岡先生だった。以来、いまに至るまで先生との親交は続いている。その先生からクリスマスイブに便りが届くとはこのうえない喜びでもある。
片岡先生の先祖も江戸時代からの潜伏キリシタンであった。この伝統をを受け継ぐ長崎地方のキリシタン、カトリック教徒たちについては言いたいこと、書きたいことがたくさんあるが、ここでは書かない。いつか機会を改めてじっくり調査研究したものを表してみたい。
昭和59年夏に、純心学園の女生徒で、原爆の犠牲になったひとりの少女の行方を追った。少女は在学していたにも関わらず、学園の原爆犠牲者名簿から名前がもれていた。私はその少女のアリバイを探して東奔西走した挙句、ある偶然から真実を知ることとなった。そして、その少女の身内から原爆の形見ともいうべき品物を私は頂いた。それは被爆した鉄製の花瓶だった。それを持って東京や広島、大磯へと渡り歩いた。
昨年、ふとこの貴重な形見は純心学園に置くことが一番いいと思いつき、知人を通して学園に寄贈した。その出来事も片岡先生はよく覚えてくれたのだった。
イブの夜、長崎の思い出に耽る。尽きない。この文章もとりとめもなく広がっていく。明日、出社して、職場のpcでもっと整理して記すことにしよう。でもここまで書いたから、未完のままブログにアップしておく。
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