今夜見たテレビ
日曜は夕方の「笑点」から始まって、Nスペor下町ロケット、ミヤネ屋のニュースショー、情熱大陸とテレビの前に座り込みがちになる。普段、一晩に1本2本しか見ないことに比べると日曜日は"熱い"日といえるかもしれない。
今夜の「映像の世紀」は落胆した。似非教養主義がプンプン臭った。皮肉をこめていえば、これも反知性主義だろうか。いまどきは50分サイズのドキュメントがなかなかうまくいかない。大きな物語は時代と合わないのだろうか。
翻って、「情熱大陸」(30分サイズ)は刺戟的でエクサイティングな番組だった。番組冒頭から斜に構えたセリフから入ったので、例によって放送作家という(私には理解不可の)存在が作りこんだ作品かとおもったが、どうやら違うという匂いが画面からしてくる。ディレクターの”作者”意識の息づかいが聞こえるような気がしてならない。番組の最後に流れたスタッフロールには放送作家という肩書きはなく、演出名表示しかなかったから、おそらくディレクターOnlyの作品ではないだろうか。今回の嘉納某という名前は気になる。覚えておこう。
それにしても主人公の小松美羽(画家)は実に魅力的 だ。初めて彼女の画業を知ったが、一見して心臓をぎゅっと鷲掴みにされた。たしかに絵に粗さがあるが、それを押しのけてエネルギーの放散がすごい。小松は「絵三昧」を一心に生きている。そのくせ世俗を越えるというか見下すような似非芸術主義に陥っていないキャラクターはその美形の容姿と相俟って当方のすけべ心をつよく刺戟する。
幼い頃から動物を飼い続けてきて、その皮膚のその奥に潜んでいるものにずっと関心をもってきたという、フェチめいた小松独特の美意識にますます当方は魅惑された。憎い!あん畜生め。
今年に入って、情熱大陸はジャーナリスティックなテーストを強めている。放送当日に起きた直近の話題を意識的に取り込んだ「疑似生スタイル」を頻繁にとるようになっている。今という時代性にこだわっている。今夜の小松美羽もそうだった。放送日が小松の誕生日でかつ勝負の日という手のこんだ設定。だがわざとらしく見えないのがいい。現場のディレクターの奮闘もいいが、それを支える毎日放送の局プロデューサーがいいのだろう。なんだか番組画面を通して彼らの喜色が見えるようだ。
情熱大陸の新しいプロデューサーは勝負に出ているなぁ。俺もそうありたい。小松の地元のワークショップで範例の絵を早書きするシーン、彼女の憑依されたような目つきをきちんと切り取っていたことに感心もし、かつその場に立ち会えた幸運を羨ましくも思った。
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