偶感
入院した折は、いつになくブログの記事をよく書いた。あの場所では他にすることもないという理由もあったのだろうが、自分の心境を外化しておきたいという欲望もあったことは否めない。だから、退院して日常にもどると、すぐその心境を脱ぎ捨て、再びネット中毒の日々が続く。相変わらず、記事を読むばかりで、書こうという意欲がなかなか湧かない。自堕落な生き方に成り下がっていると自分でも自分が嫌になっていた。
今朝、澁谷駅ハチ公口の改札を出たところから、何か新しいバイブレーションを感じた。そろそろよやれよと、どこかから「声」が聞こえてきた。誰だと見回しても、アメリカ人の若い観光客の団体しかいない。発語した主体は誰か分からず、でも何かわくわくする気分が沸き起こってきたのも事実。
こうして、オフィスのデスクに座って、マイPCのキイボードをたたいて、「定年再出発」の2015年10月20日(木)の記事を書くにいたる。
67年生きてくると、これから新しい人と出会うことより、過去に交渉のあって、その後連絡が途絶えた人の存在のほうが気になるものだ。会えないうちに、風の便りでその人は亡くなったという話が多くなった。もう一度話しをしたかったという後悔を抱くことが多くない、なんとかその悔いをもたないように、再会を試みたいと今年の年頭に決意した。
その甲斐もあって、今年は5人の懐かしい人たちと再会することができた。
70年代の終わりごろによく付き合っていたアベくん、その奥さん、そしてキクチさん。
80年代初頭に、荻窪ぽろん亭で顔を合わせたオーヤマさん。彼女はそもそもアベくんの紹介だった。消息がつかめなかったが、この「定年再出発」に気がついて連絡をもらったのだ。
最後に、先月、ピアニストのエビさんと再会した。エビさんとは大江さんのレクチャーコンサートを介するかたちで、80年代後半に広島、東京でよくセッションしたものだ。
せっかく再会できたにもかかわらず、その消息、住所などを整理しないまま、夏を終え秋も半ばを越えた。ふっと思い立ったのは、この「ふたたびの相見ての心」を本日整理しておこうということ。そんな思いでメールの受信箱を開けたら、先のアベくんが写真付きで近況報告が入っていた。
およそ半年にわたるネットの錯乱。これは計らずも「エロス」の反乱も引き起こした。妄念がめらめらと脳内で燃え盛る67歳の春夏秋冬。いきおい、谷崎潤一郎の作品にのめりこむことしきり。駄句まで詠んだ。
谷崎のフェチは果て無し良夜かな
唐突だが、ユニセフの記憶遺産に「南京虐殺」が登録されたというニュースが気になっている。「従軍慰安婦」の記憶もそうだが、学問的な裏づけ、ないしは研究成果などとは無縁で、各国の政治的思惑で、人類の歴史認識が確立されるということに対する違和感。
どうも、私のなかで、今の中国にたいする失望がなかなかとれないことに対する落胆がボディブローになっているらしい。20代、夢中で読んだアグネス・スメドレーの「偉大な道・朱徳」の感動と、今の中国にあまりに大きな隔たりを感じて仕方がない。
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