桜井センリと谷啓
本日から、高田馬場のスタジオで植木等特番のロケを開始した。
植木さんのかつての仲間やスタッフの証言を撮影していくのだ。
1日目の今日は、桜井センリさんと谷啓さんをインタビュ- した。
桜井さんは外交官の子弟で、戦前ロンドンで暮らしたことがある。ピアノの名手でかつ編曲まで手がける才人だ。ハナ肇に誘われてキューバンキャッツ(クレージーキャッツの前身)に入ったのだが、なぜ冗談音楽のバンドに参加したかと尋ねると、私の中にエンターテインメントを志向するものがあったと、少し照れくさそうに答えた。三木鶏郎と交わって権力が娯楽を弾圧することへの理不尽さを知った、というようなことも語った。知らないことは知らないとはっきり言う、律儀な人だ。けっして大風呂敷を広げたりしない、インテリジェンスを感じた。

谷さんは少しも年をとらない。昔、私があこがれた「シャボン玉ホリデー」の頃と変わらない風貌の谷さん。普段はとてもシャイな方だが、「植木屋」のためならと、インタビューでもよく語ってくれた。
本人も回想録で書いているが、彼のマイカー、プジョーのエピソードは、聞いていて腹をかかえて笑った。
谷さんは中古のかなりいかれたプジョーに乗っていた。ブレーキがよく故障したり、ハンドルが動かないことがあった。
それでも仕事へ出かけるときには、よく目黒に住む植木さんをピックアップして乗せていった。目黒の権之助坂で、ブレーキが効かなくなったことがある。エンジンブレーキをかけ、サイドブレーキを引いたが、それでも停まらないまま坂下まで行ったとき、谷さんは植木さんに「飛び降りて」と声をかけると、ヒョイと降りた。
そんな大変なことが起きても、植木さんは「かっかっか」と豪傑笑いを飛ばして、また懲りもしないで乗り込んできた。
あるときは、ハンドルが半分動かなくなったので、右、右、と右ばかり曲がって家に帰ったこともある。
横須賀から植木さんを乗せて、夜にそのプジョーで東京へ帰ったことがある。ライトの調子が悪いなあと思うまもなく、フロントライトの両方が消えた。
仕方がないので、谷さんが運転し、植木さんが助手席で懐中電灯を照らしながら帰った。
ウソみたいな話ばかりだ。まだ、交通量が少なかった時代だ。
こんなエピソードを谷さんは飄々と話す。身振りを交えて。
おかしい。笑いをこらえようと思うがこらえきれず、つい声をもらした。
来られた記念にランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング