忘れない、原爆の苦しみ

60年前の今日、11時2分、長崎浦上の上空でプルトニウム型原子爆弾が炸裂した。
7万余の人が犠牲となり、多くの負傷者が今も後遺症で苦しんでいる。
昭和57年から4年間、長崎で勤務した。そこで初めてヒバクシャに会った。取材を続けるうちに、私はヒバクシャの多くの方々から深い影響を受けてゆく。
昨夜も、井上ひさしさんが語っていたが、ヒバクシャはあれだけの被害を受けながら復讐を口にするのでなく、二度と自分たちのような経験がないようにと、核兵器の廃絶を願い祈り、
行動してきた。そのヒバクシャの祈りが世界に2度と核戦争を起こさないこととなったと、大江健三郎さんも記している。
やがて、私は広島でも勤務して、ヒバクシャへの同じ思いをもつ。
原爆について一生かけて考えていこうと決意した。
私は長崎で初めて本を書いた。被爆した女学生の記録である。小さなローカル番組にはしたが、まだ何か足らない気がして文章にしたのだ。『キミちゃんの手紙』(未来社)というタイトルだ。
その後、3冊本を書いたが、この本ほど愛着をもっているものはない。ジャーナリストとしての自分の方向を決めた一冊となった、と思っている。
今日は、編集の最後の直しで忙しいが、長崎について何とかあと2つ話題をブログに書きたいと考えている。
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