30年の自画像―荻窪ポロン亭
定年までの30余年、いろいろあったし、いろいろな場所で住んだ。
備忘のために書き記しておこうか。1973~79年、東京荻窪に住んだ。25歳から31歳の時だ。天沼2丁目の独身寮だった。といっても借り上げで,私のほかに2人同じ会社の者がいたが、他の10室は違っていた。
この頃、根城にしたのが、天沼八幡そばのポロン亭という喫茶店だ。ミヨさんという女主人が店を一人で切り盛りしていた。当時としては洒落た雰囲気の店だった。ポロンとはキューバの言葉で水甕のこと。シンボルとして店頭に飾ってあった。
ミヨさんは翔んでる女性で、キューバの砂糖黍狩り隊に参加したときに持って帰ったものだ。
心情左翼で、サルトルを尊敬していた。かつて舞芸にもいて芝居にも精通していた。後に、彼女の蔵書からブレヒト関係を大量に私は譲りうけた。私より20歳近く年が離れていた、と思う。でもブッ飛んだ人だった。
夜、店を閉めた後、そこで呑んだり散髪をしてもらったりした。酒が滅法強かった。ガタイが大きかった。化粧もフラメンコダンサーのようでまるで魔女の親分に見えた。ミヨさんについては書くことがいっぱいあるので、機会を改めて書く。ここでは、先年ガンでミヨさんは亡くなったとだけ記しておくことにする。
さて、ミヨさんの砂糖黍狩りの時からの友人で、コーイチがいる。私より2つ年長だ。長く、埼玉で数学の教師として熱血先生をやっていたが、現場の荒廃を嘆いて退職し、私塾を開いた。今も川越で頑張っている。どこにそんなエネルギーがあるかと思うほど穏やかな人柄で、私などはいつも頭が下がる。
コーイチは、ポロン亭で月一回のペースで、ライブハウスを始めてもう30年弱になる。今も
案内の葉書を送ってくる。荻窪にいた頃はよく参加したが、離れてからとんとご無沙汰している。初期には南正人がよく歌っていた。高田渡、友部正人、ともかわかずきらが来ていた。終演後、いっしょに呑むうちに殴り合いになったことも一再でない。
天沼八幡の境内でにらみ合ったことなど今思い出しても恥ずかしい。懐かしい。
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