
自分で立って、立派な(Upstanding)
番組を作ることを30年やっても、毎回難しいし怖いと思う。
放送される、わずか半年前には姿もかけらもなかったものが、企画され取材され編集されてひとつの番組という「形」になる。考えてみれば、マジックのようにフシギだ。
お手本があって作るのでなく、まったく手探りで一つ一つ事実や事柄、事象を積み上げて
「形」に仕上げるのだから、その不安たるやひとには言いがたいものがある。
この形は間違っていないか、方向性は正しいか、常に不安に責められる。
何か拠り所があって制作するならともかく、よるべなく荒野をさ迷うごとき、心細さをいつも感じている。
ともすれば逃げ出したい、放棄したい、という衝動に駆られることもある。
それでも最後まで続けていくのは何故だろう。仕事に対する責任か。逃げ出したら社会から締め出されるという恐怖か。読者(観客)を驚かせたい感動させたいという虚栄か。
――どれもあるようで、そうでもないという気がする。
アップスタンディングという言葉を大江健三郎さんから教えてもらったことがある。第1義は立派なとか品行方正ということ。だが、少しずらして自分の力で立っている、自分の背骨で立つというふうにも理解できる。この言葉と並べてインディペンデント(独立的な、群れることなく)という言葉も教えてもらったが、アップスタンディングの方が心に残った。
大江さんのように、どこにも属さずどの組織にも入らず、筆一本で世を渡ってきた人こそ
孤立無援の厳しい人生だったと推測できる。にもかかわらず。アップスタンディングを表明して生きる大江さんのような存在こそ、私たちを励ましてくれるのだ。
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