冬から春へ
まもなく春。季語でいえば、「春隣」。この時期になると、「冬のソナタ」の第18または第19話に出てくるエピソードを思い出す。主人公のチュンサンがライバルであり親友であったサンヒョクと和解し、アメリカに向かう直前のシーンだ。ふたりは、サンヒョクの勤める放送局の屋上に上って、天空に広がる薄い雲と薄い青空を眺めて語り合う。チュンサンが、ぽつんと言う。〈ぼくは、此の国の冬の終わりが好きだった。寒さがゆるみ、暖かさが一日一日増してくる。春到来を告げるかのように黄沙が舞い込んでくる。そらは春特有のどんよりしたことになるのが多くなってくると、ああ春が来たなあと思うんだ。〉
これは記憶で書いているから、正確がどうか分からない。テキストに触れて、私なりに把握した場面、せりふだからきっと細部では違っているはず。でも、前述のようなせりふをチュンサンが語り、ふたりでソウルの青空をいつくしんだと、私には記憶として打ち込まれている。
今年の冬の終わりから春にかけて。いいこともあったが、辛い悪いこともあった。まさに悲喜こもごもである。決して素直に春到来を祝すというような気分にはなかなかなれなかった。いきおい、このブログに書き込むことも減った。
友人のつれあいが篤い病になった。ファミリーヒストリーにとっても、これから家族の春になろうとする時期に至って、苦難に満ちた人生を体験することになった。当事者の心中を思うと言葉が出てこない。安易に「頑張れ」などとはいえない。十分頑張っているし、頑張ればいい結果が得られるとはかぎらないのだから。きっと、自分の運命を呪いたくなるであろう。その爆発寸前の苦悩を秘め、その人は病魔と闘っている。
まったく、お門違いの表現かもしれないが、ある歌謡曲の詞の一節を思い出す。
「春にそむいて 散る花びらを 背に受け行こう ひとり旅」たしか、西郷輝彦の初期の歌の中にあったと思う。高校生だった私は、この詩句にずっぽりいかれた。私の感情生活などは、このようにメロドラマと歌謡曲など大衆文化の事象によって形成されてきたと自覚せざるをえない。
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