
旅立ち
今朝(1月25日のこと)、品川駅の新幹線ホームまで娘を見送ってきた。半月ほど前に結婚した彼女は、パートナーの待つ大阪へ旅立ったのである。ここ数年、駅で人を見送るということがほとんどなかった。別離ということはあまり好きでないことや、年を重ねて億劫になったこともあるのだろう。そんな私でも、長く私のもとで育ってきた娘が巣立つということであれば、何かケジメがいるだろうと思い、セレモニーとしての「別れ」を果たすことにした。
娘は長崎で生まれた。すぐに東京へ転勤となった父親のせいで、成増の社宅に住む。幼児のころは長屋アパートで末っ子あつかいで可愛がられた。小学校は、広島庚午小学校に入学。青い制服を着て入学式に臨む。そこで2年間過ごした後、大磯へ移り住む。紅葉山という里山の窪地に私が建てたマイホームで、彼女は高校を卒業するまで暮らすことになった。青春前期を送っていたはずだが、私は何も覚えていない。番組作りに追われていた私は、同じ屋根のしたに住みながら、此のころの彼女の動静をまったく知らない。ルーズソックスを履いて、放課後は平塚の町を買い食いして歩き回っていた、などということは最近になって知る。
編集者になりたいと、4年ほど前から銀座にある出版社に勤めるようになった頃、家を出て目黒のアパートにひとりで暮らすようになった。といっても、私たちも目黒の集合住宅を本拠地にするようになったから、スープの冷めない距離の間柄であった。仕事についてからは、マスコミという同業意識もあって、ときどき表現をめぐっての議論などもふっかけてくるるようになった。生意気にも幸田文が好きで、その硬質な文体を喋喋するのをにやにやしながら聞くのが、退屈しのぎにもなった。一方、親に対する目も鋭くなり、私のだらしない態度や生き方を批判するようにもなってきた。前期高齢者に突入した私は、あらゆる面でとろくなり、踏ん張りがきかなくなった。酒を飲んでも、たった2合で睡魔が襲ってくるようになった。娘の批判に反論することも少なくなってきた。形勢が次第に逆転しはじめていた。そろそろ巣立ちが近づいていると感じていた。
――そして、昨年末に結婚。しばらくは、東京と大阪へ離れて住んでいたが、ようやく娘の仕事にも段落がついて、昨日、身の回りの品を詰め込んだリュックを背負って、娘は大阪へ向かった。10時17分発の博多行きのぞみを見送ると、すこし気が抜けた。
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