目黒長者丸 曲がりのハナ
このところ一駅分歩いている。目黒ー恵比寿間だ。朝は恵比寿から目黒に向かって強い北風が吹く。逆風にさからってのしのし歩くことは小気味いい。
目黒駅ロータリーから歩き出し、目黒のホーチキ社から始まって、恵比寿ガーデンを抜け、動く歩道をヒト走ると恵比寿に着く。所要時間15分。冷えた体も目的地に着く頃はすっかり暖まり、リュックを背負う背中にもじんわり汗が吹き出る。その道は目黒から恵比寿に走る山手線に向かって右岸にあたる。左岸は目黒区だが右岸は品川区大崎。
その途中に、山手線が大きく曲がるポイントがある。地番は上大崎2丁目だが、私は目黒長者丸 曲がりのハナと呼んでいる。蛇行を繰り返す山手線のなかでも指折りのカーブではないだろうか。電車が通過するとき、キイキイと車両の軋みをひどく響かせる。そのカーブは鉄道写真ファンにとっては絶好らしく、ときどき幼い撮り鉄が身分不相応な立派なカメラを構えて立っていたりする。
そのあたりは、大正以前は長者丸と呼ばれた。その名残は近所の珠算教室の名前にある。白金から遠くないから、昔白金長者がいたという伝説と呼応しているのかもしれない。左岸の目黒区の地名は現在三田。かつて文豪丸谷才一が住んでいた。10年ほどまえ、丸谷が「輝く日の宮」を出版したときに、インタビューで2度ばかり訪れたことがある。地名の三田は港区の間違いではないかと訝しんだが、やはり目黒区三田だった。
ここにまだ鉄道が走っていない頃、関東大震災の少し前までは長者丸と呼ばれていた。ここに画家速水御舟のパトロンともいうべき吉田一族が住んでいた。御舟も若い頃寄宿し、仲間とともに画業に励んだ。その一派を目黒派といわれた。
明治27年に浅草で生まれた御舟は、昭和10年に40歳の若さで亡くなるが、代表作「炎舞」など象徴的画風の名作をいくつも残した。4年前に、この「炎舞」誕生の物語をアートドキュメンタリーにしたこともあって、この御舟や炎舞、長者丸について詳しく知ることとなった。当時、私は大磯に住んでいて、よもやこのあたりが通勤路になろうとは思いもしなかった。
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