2014イブ
今宵、東京は比較的暖かいクリスマスイブとなった。6時から予定していた試写も、夕方5時から始めることができて、早々と帰宅することができた。
別に用事があったわけではない。なんとなくイブだから、今晩ぐらいかつての教会生活を思い出してみようと気持ちを正してみただけだ。
40年前、金沢の教会に通っていた当時、一度だけ初雪に遭遇したことがあった。クリスマス礼拝が終わったあと、各信者の家を訪ねて、クリスマスを祝するキャロルが行われたものだが、その夜は雪が降って、金沢中がホワイトクリスマスになった。誰も踏んでいない真っ白の雪の原をキャロルの一行がとぼとぼと歩いていく様は、まことに幻想的で感動した。たしか、すべての信者の家を回り終えて、教会に戻ったのは午前3時を回っていたと記憶する。賛美歌「ああベツレヘム」のメロディがかすかに浮かび上がり、耳朶から離れない。
あれから幾星霜。もうすっかり老年の域に達した私は、あの青春の時間を一粒一粒たどりながら、そのあまい思い出に浸ってやまない。なんと愚かなともう一人の私が愚痴をこぼそうが、半分の私はそこから離れようとしない。
さらに遡ること20年。私が小学低学年のころ、敦賀のクリスマスでも大雪が降った。そして、若かった父と母にひかれて、クリスマスの集まりに出かけた。幼児であった私は、斜め上から吹き付ける粉雪に体を折りながら白銀町の新開地の雪道を歩いたことを思い出す。若かった父と母が私に向けてくれた情愛を、今あらためて思い知り、有り難いと感謝する。
いつのまにか、66歳という大きな年齢になってしまった。
――私はどれほどの時間を生きることになるのだろうか。幾ほどのクリスマスの回数を重ねることになるだろうか。
母の最晩年の友人であった太田治子さんが、今年も命日に合わせて、シクラメンの鉢植えを送ってくださった。ピンクの美しい花びらが夜のベランダでひそかに息づいている。
だんだん文章が散漫になっている。きちんと論理をそろえて書くことに飽きてキタ。ここに記していることを誰かに読まれて、誰かに評価されようとする功名心などとっくに消えた。誰も書かれたことを理解などする必要ない。むしろ私だけが分かる「伏せ字」で記述できればいいじゃないか。
先週、敬愛する松尾尊允先生が死去した。昨夜、地下鉄のなかで隣の人が広げた夕刊で、訃報を知った。京大名誉教授だった先生は、私の属する研究室の偉大な先輩でもあると同時に、日本近代史の偉大な研究者でもあった。晩年の先生にインタビューしたことがきっかけとなって、この5、6年は親しくお手紙をいただく間柄となっていただけに、先生の急死は大きな衝撃でもあった。
忘却と記憶はコインの裏と表。何も怖れることはない。
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