
植木等さんと粋なジャズメン
植木さんのロケが昨日から始まった。場所は神田学士会館。
終戦直後、ここはアメリカ進駐軍に接収され将校クラブになっていた。ダンスホールがあり
植木さんはそのバンドでギターを弾いていた。
なつかしのホールに、植木さんの当時のバンド仲間を中心に5人のジャズメンが集まった。
皆さん60代後半から70にかけての高齢だが、白髪をポニーテールにするなどなかなかお洒落だ。日本ジャズ界の草分けのような人たち、ギターの沢田駿吾、ベース稲葉国光さんたち。植木さんは当時の思い出話にふけり、ご機嫌だった。
その中から一つ。――
昭和23,4年当時、神田の界隈にはたくさんの屋台が出ていた。
このホールで植木さんたちが演奏していると、ある将校が外へ出て行った。
しばらくたって、ラーメン屋の親父を連れてきた。植木さんたちは何が起こったのかと
見ていると、かの将校は親父に、お前のラッパを吹けと命令する。言われたとおり、親父は例のチャルメラのご存知のメロディを吹いた。「ピャララーララ、ピャラララララー」
満足そうにうなづいた将校、さらに促した。「セカンドコーラス」 何て言ってるのと尋ねる親父。
「2番もやれよってさ」
言われた親父、「?!?」
植木さんが、まるで落語のように語り聞かせる。オチが決まると、一同どっと笑い崩れる。
この後、5人のメンバーがステージに上がりそれぞれ楽器を手にとった。植木さんに何か
リクエストはと問うと、すかさず「オールオブミー」
ピアノのイントロが流れ、ベース、ギター、ドラムスが続く。そしてメロディのサックスが前面に出てくる。小粋で颯爽とした演奏だ。失礼ながら、それまでの老人がたちまち
魔法にかかったように生き生きしてくる。
植木さんが、ター坊と呼んだサックス奏者はまさに青年の顔に変わっている。植木さんも
スイングしている。そうだ、この人はジャズの世界から出てきた人だった、そのことをあらためて思った。
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