聖12月1日
30余年前の今日、明け方から大騒ぎをしていた。新婚2年目、武蔵小杉の世帯寮に暮らしていたときのことだ。子供が生まれかけていた。
午前5時。妻が破水した。お産の知識などまったくない私は慌てた。救急車でも呼ばないといけないのではと焦った。
同じ寮のなかに、仲のよいH夫妻がいた。H夫人は3年前に子供を生んでいたので、出産についてはベテランだった。さっそく私はH夫人を呼びに行った。
やって来るなり、H夫人はてきぱきと入院の支度にかかったり妻の状態をはかったりしていた。最後に、通りへ行ってタクシーを捉まえて来いと私に指示した。まもなくお産が始まるから、かねてから予約をしておいた聖マリアンヌ病院に入ったほうがいいというH夫人の見立てだった。
数時間後、息子が無事生まれた。体重2600グラム、小ぶりの赤ん坊だった。30歳を越えていた私としては無事に生まれたことがなによりだった。誕生を見届けた後、出社。いったん仕事についたものの、早めの店じまいで、再び病院にもどった。
昭和55年の12月1日は小寒かった。日陰に入ると体が震えた。東横線のホームに立つと木枯らしが吹いていた。聖マリアンヌ病院は武蔵小杉の東横口から出て徒歩で5分。勤め人や入院者にとっては便利な場所にあった。
産婦人科は一階にあった。赤ん坊が収容されている部屋の硝子戸の前に立って、息子を探した。10人ほどの新生児のなかに、ひ弱そうな赤ん坊が部屋の中央にいた。しっかり握りしめた拳だけが頑固そうに思えた。どんな人生が待っているか分からないが、けっしてどんなことがあっても大らかでいろよと、親らしく願った。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング