癒えるのか癒すのか
番組をおおきな流れで作ってしまうと、あとは気が抜ける。テロップの表記やナレーションの表現などの細部などはツイ見過ごすことが多い。まもなくクランクアップという最終段階で小さなミスを見つけることが多い。
芭蕉の名句
閑さや岩にしみいる蝉の声
担当者は、しみ入と表記した。角川の芭蕉全句集に依拠してそうしたという。江戸時代にはそう表記したのだろう。だが、このままでは現代の視聴者はミスだと思って、訂正を求めるファックスの2つや3つは来るだろう。どうしよう。これは間違いではないが、誤解をできるだけ避ける工夫が求められるケース。
もうひとつ。小学生が作った俳句に、説明を加えるシーンで、「天国に行って、癒やされて」というテロップを打った。癒やされては間違っていて、癒されてではないかという声がスタッフからあがった。担当者は辞典を参照したら、癒やされてと癒されての両方が併記されていたので、そこから選んでこうしたと弁解する。
この措置は正しい。両論あるかもしれないが、癒やされてを取るほうが妥当だ。なぜなら、癒えるという用法もあって、語幹の「い」以外は活用する部分になるからだ。
なんて議論が、作品がすっかり仕上がって、最後の技術試写するなかで発見されるからがっくりくる。またやり直しかとタメイ気のひとつも吐きたくなるのだ。でも――。
でも、こうして番組を作り続けることができるだけでも幸せだ。もし仕事がなかったら、定年した身をもてあます年金主義者にならざるをえない。これといった趣味もない、ゴルフもスポーツクラブもドライブも海外旅行も苦手な小生は、ナレーションのコメントを一行考えるほうがはるかに充実するから。
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