2014年集中講義
9月1日、月曜日から4泊5日の京都の旅に出た。10年ほど通い続けて来た京都の大学の集中講義に出席するためだ。教える教科は、現代文化学のひとつ「映像メディア論」。これまでドキュメンタリーの名作を選りすぐってじさんして、学生たちに見せてきたが今年はほとんど私が制作した自作を素材にして映像の特性を語ることにした。題して、内在的臨床映像論。
百万遍のバス停で降りると、大学の懐かしい風景が広がった。いつもコーヒーを買うお馴染みのMacで、一息入れておもむろにキャンパスに向かう。百万遍交差点をわたって京大裏門から入る。時計台に通じるメインロードを行くと、ひだりに折れる道。そこへ入ると、私がこの大学で一番好きな風景に会う。右手奥に文学研究科棟、左手に総合研究棟2号間が道をはさんで建ち、まわりを背の高い木々が囲んでいる。並木道の梢をそうそうと風がわたっている。校舎の前に置かれたベンチには熱心に資料を読み込んでいる学生がいた。半分夏休みの大学にはどことなくのんきさが漂っている。
文学研究科棟の2階第4講義室に入ると、20人ほどの学生たちが待っていた。こうして、今年も楽しい集中講義が始まった。
1日目 ドキュメンタリーへの誘い。ドキュメンタリーとは事実系の番組(別に虚構の番組あり)という簡単な定義から始めて、一本の番組を例にとって構築された作品であることを示す。この日視聴した参照作品は、「響きあう父と子」「私は虫である」。
2日目 ヒューマンドキュメンタリー。ニンゲンを描くとはどういうことか。主人公は必ずしも生者とはかぎらず、死者の場合もある。「もう一度、投げたかった」「モリチョウさんを探して」「おじいちゃんと鉄砲玉」「アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか」
3日目 社会変動とテレビドキュメンタリー。戦争や大きな災害に出会ったとき、映像はいかなる表現をとるかを考える。「ヒロシマに一番電車が走った」「ベトナム戦争・叫び声が聞こえる」「ネットワークで作る放射能汚染地図」。参照する作品として、亀井文夫「戦ふ兵隊」
4日目 アートドキュメンタリー。映像は芸術芸能を捉えることも得意。「闘う三味線」「若き宗家と至高の三味線」。
これからのドキュメンタリーとしてのシチュエーションドキュメントという提案をする。その例として、「課外授業」。「弱虫たちよ強くなれ・角田信朗」「見つけた!意外な自分・水道橋博士」。そして終講にあたり、番組を作る喜びと苦しさを学生たちに伝えた。20人の若者の瞳が輝いていたことが嬉しかったし、心に残った。
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