土砂災害
昨夜ナレーション吹き込み作業が、新橋のスタジオで遅くまで続いたこともあって、今(11時過ぎ)目が覚めた。テレビを点けると中国山地で発生した土石流のすさまじい空撮映像が飛び込んで来た。何があったのだ。痕跡は半端ない。山肌をごっそりエグっている。中国山地といっても広島市内に属する標高の低い里山のような山地だ。
被害は広島市の安佐南区、安佐北区の市街地の山間部に集中している。中継映像で見るかぎり、やられた建物は古民家でなく比較的新しい現代建築が多い。あの時の長崎の惨状と同じではないか。嫌な予感が脳裏を過った。30年前、長崎大水害で起きたことと同じようなことが起きたのではあるまいか――。
昭和57年7月末、長崎に一晩で300ミリを越す大雨が降った。そのため市内各地の山間地、傾斜地でたくさんの土砂崩れ、土石流が発生し300人を越える犠牲者を出すこととなった。私はその一月後の8月に長崎に転勤する。
そこで見たものは想像を絶する大規模な地崩れの爪痕だった。その同じ光景が、今朝の広島山間地にいくつも広がっている。
長崎の場合、土石流が発生した地域を調べると、滑石(なめし)、鳴滝、本河内など土石が流れやすい地域の特徴を織り込んだ古い名が浮かび上がった。被害が出た場所は古来くりかえし災害が起きていたのだ。古人はこのようにして危険区域のことを伝承してきたのだろう。古くから住んでいる住民はもともと地盤がゆるいということを知ってはいた。しかし、新しく戦後移り住んだ人たちは地形の元来の様相を知らないままであったから、大水害発生のときも避難に遅れが生じて、かなりの犠牲が出た。このことを私は半年かけて調べ、次の年の7月に特集番組として全国に報じた。そのとき在来の住民と到来新参の住民の間に情報の格差があることを強い危機感を持って訴えた。情報の共有こそ命を守る武器だと私は言いたかった。
今回の広島の被害区域の様子を見ていると、どうも”新しい”住民の居住地が多くやられているような気がする。なかには土石流の筋道のなかにあって被害を受けている現代建築物もある。かつてそのあたりに地崩れなどが発生したことがあるやもしれないが、そういう古説はおそらく昔から住んでいる人には伝わっていたかもしれないが、新しい住民には伝わっていなかった可能性が高い。新住民には現在の造成された宅地しか見えず、古来の地形の特徴などを知る機会などなかったのではないだろうか。現代の進化した建築技術は、皮肉なことに災害発生の可能性の高い区域ですら住宅を建設することが可能になったのだ。
上述したことはあくまで仮説でしかない。災害は発生したばかりで、原因究明はこれからだ。だがこれ以上の被害を出さないためにも避難は早めに決断してもらいたい。
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