ミフネとクロサワ
ミフネは普段礼儀正しい真面目な人だった。巨匠クロサワの注文にもよく従った。
ところが、酒が入ると人が変わる。日頃の鬱憤がいっきに噴出してくる。
こんなエピソードを映画関係者から聞いたことがある。「赤ひげ」の撮影のときだ。
クロサワはなかなか撮影を進行しようとしなかった。
朝、準備してスタッフが集合すると、クロサワは「今日はいい雲が出ていないから中止」といって撮影を延期する。それが何日も続いた。
主役のミフネはさぞ腹がたったであろう。しかし、表面は従順だった。「男は黙ってサッポロビール」(こんなユーモアはもはや通用しないだろうなあ)
だが、ある夜自宅で酒を呑んでいると、ミフネの目がすわってきた。鬱憤がこみあげてきた。そこから起こったことは真偽のほどは分らない。ただ話としては面白いし共感もできる。
ミフネは家にあった猟銃をもって監督の家の前に立ったというのである。
まるで「八つ墓村」だ。でも真面目で気の小さいミフネは、こういう形でしか怒りを表現できなかったろう。
出来上がった作品は素晴らしいものだった。そのことは、ミフネも喜んでいる。が、そこに至るまでの道は、ミフネにとって辛く悲しいものだった。
これもクロサワに近い関係者から聞いたが、いい雲の話はそうではないだろうとのこと。一つの雲にもこだわる巨匠のエピソードらしいが、実際はそうでないだろうと関係者は推測する。
あの時、クロサワは撮影の考えがまとまっていないから、そう言って時間をかせいだのだろうと言う。そうか、あのクロサワですら撮影のとき苦しむのか――。
でも、たった一言、クロサワがミフネに言ってあげれば、ミフネも悶々と悩まなかったのだが、あの時代の映画人はプライドは高く傲慢で、他人に弱みをぜったい見せない、意地っ張りばかりだったのだ。いいなあ、この話。こういう不器用で喰えない人間関係に、私は憧憬を抱く。
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