エッセーのような番組(もの)
昨夜、本体のMプロデューサーと意見交換を兼ねて酒を飲んだ。Mさんはとても優秀な52歳で、今もっとも乗っているプロデューサーのひとり。先年、「英語でしゃべらナイト」という新機軸の番組を制作して名を挙げた。現在は私の担当する「課外授業・ようこそ先輩」の元請けプロデュースをするほか、現代思想を一覧するようなトーク番組を受け持っている。
3月も近づいて、来年度の「課外授業・ようこそ先輩」の放送計画について意見を交わすことにしたのだ。Mさんはワイン派なので、会社の近所のフランスめし屋で一杯傾けながら4月から8月までに登場する人物をめぐって参考意見を聴いた。これに関して私の考えとMさんのそれはそれほどずれはなかった。「課外授業」に関する話し合いはすぐに終わった。
夜も更けて、当該の番組よりも番組の制作論に話が及んだ。そこでMさんは面白い意見を語ったのだ。
番組というものは、ロケで撮影してきた素材だけできっちり構成するいわゆるフィーチャードキュメンタリーからスタジオで出演者がトークする番組までさまざまな形態がある。それぞれ持ち味があって、どれがいいというわけではないが、往々にして緻密に構成されたドキュメンタリーがテレビ番組のなかで内外から高い評価を受けることが多い。その典型はNHKスペシャル(通称Nスペ)。これは数ヶ月かけて取材した素材を、アタマからケツまできちんと並べ構成した作品性の高いもので、ディレクターであれば誰しも憧れる番組形式といえるだろう。特集と名をうつだけあって、取材の厚さにしても仕上げの丁寧さにおいてもレギュラー番組とはひと味違う。こういう特集ドキュメンタリーをハード(本格派)ドキュメンタリーと一応呼んでおこう。
このハードな作品までいかないが、それなりに構成され構造化された番組群がある。「課外授業」もそのひとつ。こういう作品をエッセーと呼んだらいいのではないかとMさんは言うのだ。面白いことを考えているなあと、私は少し嬉しくなった。
エッセーとは和訳では随筆という文学形式を指す。つまり折々に感じたことを文章に表した文学の小作品というようなものだろうか。小説のような大きな結構を持たないが、一応オープニング、エンディング、クライマックスというプロットをもって構造化された文章を指す。感想・思索・思想をまとめた散文で、取り扱うジャンルは一応ノンフィクションといえる。このエッセーのようなものにあたるテレビ番組の群れをMさんはハードドキュメンタリーとは違うノンフィクションの作品群として括ったらどうだろうというのだ。
ああ、ここにもテレビの形式というものを懸命に考えている人がいるなと、私は嬉しくなったのだ。
最近、週刊誌などで番組批評などを読むと、ほとんど印象でしか語っていないうすっぺらいメディア学者の意見を目にすることが多い。なんだかおばさんのお茶飲み話のような意見をご大層に持ち出しているのを見ると、この文化の薄っぺらさを感じて不快だったが、Mさんのようにテレビという視聴覚メディアの可能性をまだまだ追究していこうとする人がいることが、わが事のように嬉しかったのだ。
ちなみにウィキペディアによれば、《「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。》とある。
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