開き直ったブログ
1972年生まれの社会学者、北田暁大『わらう日本のナショナリズム』は面白い。
現代社会がこれまでにない視点から把握されている。(いや、ひょっとしたら新しい世代は
もはや既知のことかもしれないが)
彼はマルクス主義が幅をきかせた時代を、まず60年代的なものと措定する。そして60年代末から70年代初頭にかけて起きた連合赤軍事件や内ゲバを通過したのち、日本は消費社会へと大きく右旋回していったと見る。そこで登場した70年代現象のシンボルとして糸井重里を、北田は呼び出してくる。
糸井は私と同じ1948年生まれ。学生時代は党派の活動家として60年代末を体験した。つまり60年代的のものを出自に糸井はかかえている。
その彼がパルコ文化と「寝る」ことを確信犯的に行いながら、記号の戯れ社会の内部深くに侵入してゆく。というか、彼自身がその王宮の中心に君臨していったと、北田は見ている。
(というふうに私は理解したが、速読半解なので正確さに欠けているかも)
現在の2チャンネル的アイロニーの前段階を糸井や「元気がでるテレビ」が用意していくことになったと、北田はとらえたのだ。
糸井的なもの、60年代的なものはまさに前世紀の遺物と化していて、新しい文化はさらに進化(それが良いか悪いかは別)している。
この「定年再出発」というブログも前世紀の遺物的で、なるほどカテゴリーランキングの中では異質だ。ほかのブログの表現や内容を見ても、この「定年再出発」は堅く古くさい。語られるモラルや言説も、現代とやや遊離した古いスタイルがこびりついている。だが、それこそ私がのぞむところだ。そういうことにこだわりたい。先日書いた、現在(いま)の若者論などはそういうことだ。
21世紀もやがて二桁台に突入する。世の中、デジタル化が進み、国際関係はますます相互依存を強める。ナショナリズムをかきたて他国をこき下ろしても、事態は解決しがたいものになるだろう。にもかかわらず、疾走しますます蔓延する「アイロニー現象」に対して、私は抗い、こういうことではやっていけないと警告していきたい。真面目に一生懸命的に「努力」することをあざ笑い揶揄するアイロニー。でも、私はアナクロと思われても、この「アイロニー現象」を批判していきたい。
アナクロニズムは「時代錯誤」と解される。時代の空気も読めず、頓珍漢な感性と見られる。
だがプルーストはアナクロニズムを、時を越えて過去へ行ったり未来に跳んだりする大切なツールとみていた。このアナクロという“タイムトラベラーのツール”に私も乗り込んで、ブログ時空間を浮遊でなく自由に飛翔しバッサバッサと切り込みたい。

新しい時代は、新しい文化を次々に生み出す、ツタヤにて。
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