ふるさとの味
リサーチで1時から4時まで、東横沿線のある民家の資料を3人がかりで調査をした。家の応接間に戦前のレコードがゴマンと積み上げられてあった。昭和6、7年から12年までのものが大半だが、当時、売れっ子の歌い手は年に6枚も7枚もレコードを吹き込んでいる。だからわずか数年のレコードだけで山ができる。こんなにたくさんの俗歌、流行歌が世に出ているとは思わなかった。庶民は生でなくてもスタアの歌が聴けるレコードに熱狂していた。でなければ、こんなにたくさんのレコードが生産されるはずがない。
どうも戦後生まれは、戦前は不自由で不便で封建的で軍国主義の暗い時代とすぐ常套のイメージをもってしまうくせがある。(今放送されている「ごちそうさん」の描き方を見よ)
むろん、現代のようななんでもありの世界ではない。情報局の厳しい目があるから、さまざまな規制のなかで流行歌は作られてはいた。
レコードのラベルに音楽のジャンルが印刷されている。
流行歌、国民歌謡、新民謡というワードの他に、時局歌、軍歌というものもある。昭和13年の時局歌に「コロンビア慰問隊」というのがあったので、さっそくターンテーブルに乗せ、レコード針を落として聴いてみた。それは歌謡ショーだった。流行歌手、民謡歌手、俗曲の歌い手が次々に登場してお得意の歌を歌い、歌の合間に戦地にいる兵士に激励や感謝の言葉を寄せるのだ。
前線の兵士たちは、こういうレコードを聞いて故国を思い、恋しいスーチャンを偲んだのであろう。こういうメディアが昭和初年に流行っていたなどということは初めて知った。
調査開始から3時間。あちこちを調べ苦闘したが、「大発見(スクープ)」というべきものは残念ながら見当たらなかった。調査は半分空振りだったのだ。いささか気落ちしてオフィスに戻った。
引き出しに先週の勉強会でもらったおやつ昆布があった。小腹もすいたので、袋をばりばりと破って、数枚の昆布を口にする。うまい。さすが北海道の本場の味はいい。どれどれと生産者の所在地をたしかめると、敦賀市金ヶ崎町とある。
なんだ、わが古里じゃないか。途端に、ふるさとの金ケ崎の海がぱーっと目の前に広がった。といったら劇的だが、そうはならない。
ただ昆布を口のなかでぐちゃぐちゃ噛み締めていると、何か懐かしいものが思い出されてくる。あの町の銭湯に夕方行くと、昆布の臭いをまとった若い衆がいたな。仕事のあとの湯なのか疲れて充血した目をまぶしそうにしばたかせていた。夕方のぬるい湯はどこか貧乏くさいと感じていた。
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