病院週間
今週は病院に通いづめになりそうだ。
本日が9時半から。腹部エコーおよびCT(コンピュータ断層撮影)、血液化学検査が行われ、終了したのが11時半となった。外へ出ると冷たい雨風が降っていた。大橋の東邦大学病院から神泉を抜けてオフィスまで徒歩で20分。あえて傘をささずにダウンコートのフードをかぶってどしゃどしゃ大またで歩いた。歩くうちに身内がだんだん暖かくなり、こころなしか足取りも軽い。
明日は10時から同病院で泌尿器科にかかる。五十代後期から始まった前立腺肥大の定期診断である。一応ハルナール1錠を毎朝服用しているのだがよくならない。主治医に言わせるとこれ以上悪化させないこと、細胞が癌化させないことが肝心だという。明日の診断のために前々週下腹部のMRIを撮影したが、これが最悪だった。閉所恐怖の私にとって、あの洞穴のような狭い空間に押し込められて10分間耐え忍ぶのは至難である。途中で一服したが、何度もギブアップしそうだった。でも曲りなりにもなんとか耐え忍び、明日の診察ではそのデータが使用されることになるだろう。これだけ苦痛に耐えたのだから、いい結果経過が出ていてほしい。
そして、金曜日午前9時半から、第3外科にて胃癌の予後診察となる。2011年1月に胃の癌細胞切除の手術を受けた。以来、毎月診察を受けていて、金曜日は2月の診察日となる。振り返ると手術から3年経過していたのだ。主治医の長尾先生はどういう診断を下すことになるだろうか。
病院に行くたびに老人の多いことにあらためて日本の高齢化が進んでいることを痛感する。最近は明らかに私と同世代の男女が増えている。さらに老老介護の付き添いも珍しくない。たしかに医療費が嵩んで財政を圧迫していくだろうという予想はおおむね当たっているのではないか。その「要因」が団塊世代で、私はほかならぬ張本人のひとりとなるのだ。どうすれば子や孫世代に迷惑をかけずに老後を終えることができるのだろう。
思えば、父や母たちは若い頃は戦争に翻弄されて辛い前半生を送っただろうが、晩年はある意味で平らかな穏やかな時間を生きていけたと推測する。老母は今の境遇はありがたい、感謝しているという言葉を繰り返した。それに比べて昨今は暗い将来しか見えてこない。年寄りたちも苛立っている。
一昨日、駅前で荷物をかかえて杖をつく老婆がよろけているのを見かねて、声をかけた。「お手伝いしましょうか」。すると、老婆は一瞬顔をそむけたかと思うと、額を朱に染めて罵声を浴びせかけた。「うるさーい。黙れ、この××野郎」「あっちへ行けええ」
何があったか知らないが、見ず知らずの人間に放つような言葉でないものを放つ老婆。頭にくるより哀れにしか思えない。
しかし、時間が経つにつれてだんだん腹がたってきた。あんな人なかで罵詈雑言のうえににらみツケまでして。まるで私が何か加害したといわんばかりの振る舞いは、いくらなんでもないのではと思うと同時に、あれじゃ、いつか大きな災厄に出くわすことになるぞと忌々しく思った。
さまざまなことが去来する。病院に通いづめになっている私も、路上で癇癪を起こす老婆も、50歩100歩じゃないのか・・・。
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