同窓
加賀市に住む友人I君から手紙が届いた。わたしの昨年書いた小論文に対する感想があり、文末に富山の堀田君の死について触れていた。加賀市の友も堀田君も大学時代の仲間で、昭和23年生まれの66歳たちだ。昨年暮れに逝去したらしい。
I君の手紙にこうあった。「同級生がこの世を去る年代になったのだと改めて老いを感じている」。
同感である。
堀田君は富山出身で大学時代は空手のクラブに所属していて、頑健な体の持ち主だった。どちらかと言えば議論が苦手で、当時始まっていた大学闘争などにはまったく関心をもたなかった。経済的にも質素で、いつも学生服を着ていたことを覚えている。口数が少なくにこにこ笑っていた。初夏、大学からの帰り道、ぼそぼそと景気の悪い話を対話した場面が浮かんで来る。奨学金だけでは足らないからもっとアルバイトを増やさなくてはというような話だったと記憶する。
昭和45年の3月。卒業式はあったが、私はボイコットした。大学は半封鎖状態が続いており、同窓生ともきちんと別れを告げないまま大学を卒業した。堀田君とも最後にいつ会ったか覚えていない。帰省先の住所も聞いていなかったから音信も途絶え、そのまま40年の月日が流れた。
高校の社会の教師を長年続けていたと聞く。どんな先生だったのだろう。彼が授業している光景を見てみたかった。ふと啄木の短歌を思い出す。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」今頃、富山は大雪に埋もれているのだろう。
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