何だ、現在(いま)の若者も大人も
前回、昭和40年代の男の慎ましさを語った。なぜ、こういうことに過剰に感じるのか自分でもフシギに思っていた。
さきほど、コンビニの前で、高校生とおぼしき女の子数人の生態を見て、その訳が判明した。
今の、若者たちに比べて、圧倒的に40年代当時の男が格好いいのだ。
私が見たのは公共空間で傍若無人にふるまう若い女たち。コンビニの前の階段にべたりと座りこみ、人目(これは死語か)を憚らず、平気で化粧したり、飯をくったり。座るのも胡座をかいて、パンツ丸見え状態。
こちとら、そんなもの見たかね―やと、怒鳴りつけたくなる。
なんで、こんなことになったのだろう。若い者、特に女の子の壊れ方はひどい。
近年、女性ですら若い女に対して批判するほど、マナーなどはまったくなっていない。
むしろ、若い男は、必要以上にやさしくなっていて意思薄弱。だらしない。
こういうことを言うと、反動的とレッテルを貼られて、時代遅れ扱いされるのか――。
渋谷の町を歩いていると、傍若無人の光景は近年よく出くわす。気が重くなる。
さらに腹がたつのは、そういう高校生風の女と腕を組んであるく、私と同世代もしくは40代の、頭の薄くなった男たちの存在だ。いわゆる援助交際の関係と推測がたつ。
こうなると、バカの連鎖状態になる。
友人から教えてもらったが、昨夜のスーパードキュメントで、「私の値段は3万円・・・実録 真夜中の少女 セリ落とされる女たち」という番組をやっていたという。渋谷の若い女の性を売る実態を赤裸々に綴ったもので、その原因になるものはやはり親の責任だということを指摘していたそうだ。
渋谷の町をさ迷う女の子のほとんどが「家族喪失」になっているのだ。この子たちを見捨てている親というより、もはや関心すら持たない親たちが今数多くいるという現実。
ネグレクト――無視、無関心、否定。対人関係でなく親子関係で起きているのだ。
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