花の命はことのほか長くて
10年教鞭をとっていると教え子たちもそろそろ社会の中堅に入ってきた。みなそれぞれの現場で活動するようになっている。活躍とあえて言わない。当人は精一杯働きたいと思ってもそうはさせてくれない社会の仕組みがあるようだ。30を過ぎると、女子にはその阻害構造が特に大きく立ちはだかるような状況が多々起こってくる。政府は女子の社会参加30%を目標にと掛け声をあげるが、現実はとてもそこまでは届かず厳しいものが横たわっている。
昨夜、二人の教え子から自己実現を目指せない苦しみを聞いた。ちょうど夕方であったから一人は子供を保育所に迎えに行く途中で電車に乗っていた。もう一人は原稿締切時刻がせまって忙しく働いているときであった。二人とも時間に追われ忙しくしながら、それでも今の仕事が畢生のものであるといえるかどうか悩んでいた。
男並みに働いた一人は体調を崩して職場を移ったという。男の体の変わり目より女子は少し早めに更年期が来るようだ。その年時はちょうど仕事が佳境に入る頃と重なり、企業は戦力化できないことを嫌がる。むろんアカラサマでない。生-権力が行使される。いきおいその人生は副線路に転轍されることにもなる。
子供をもって共働きの状態になると母性保護ということで、こちらも副線路に追いやられてしまう。いずれも真綿でくるんだような「悪意」がじりじりと個人としての女子に迫って来る。
以上のようなことを、私は迂闊にも昨日初めて知った。
家庭ということは家人にまかせて、番組を制作することのみを邁進しつづけてきた自分の人生を振り返ると、私のような生き方こそさきほどのような悪意のシステムを構築し維持してきた元凶そのものであったことを知り愕然となる。
娘を思った。彼女もまもなくそういう葛藤の時期に入っていくのかと思えば、けっしてその自己不実現という現実は他人事ではない。表現という場を一生持ち続けたいと願いながら、そのことを阻むものが、今そこにあるという重い現実。
なんてことだ。女性学の書籍をいくつも読みながら、こんな本質的にしてプリミティブな葛藤に少しも気づいていなかった自分の迂闊さ。
ヒトの平均寿命が90歳にまで届こうというご時勢。けっして女子とても副線路に安住して微笑んでいればいいという時間の長さでない。花の命はことのほか長い。
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