寒風に立つ(東京はこの冬一番の寒さ)
66歳になった。まさかこの歳まで現役で番組を制作できるとは思ってもみなかった。思い起こせば、1992年に広島局にいっしょに転勤した副部長のタマキさんがわずか半年で胃癌と判明し、3月も経たないうちに死没したことは私の死生観に大きな影響を与えた。ガタイが立派でちょっとやそっとでは倒れまいと思われたタマキさんが、わずか一月で見る見る衰弱しかつ人生に見切りをつけた姿は今も眼裏に焼き付いている。浪人をしたタマキさんは私より入局が2年ほど後だったが年齢は同じだった。だから亡くなったときのタマキさん、そして当時の私は44歳だった。
それから3年間。広島でバリバリ仕事をし、飲み歩いた。人生でもっとも活動的な時代であった。刹那的なものではなく、タマキさんの死を見取って人の世の呆気なさを知り、動けるときにはできるだけ動いておこうという信念のもと、ガムシャラに疾走したのだ。それがたたってか広島から東京へもどった1995年の6月、突然脳内出血を発症。最高血圧263という看護士の声をおぼろに聞きながら私は明日の仕事の段取りを考えていた。(後からそのときの私の様子を家人に聞くと、血の気を失い朦朧としていたそうだ)。このとき明らかに私は死の谷の影を歩んでいた。
職場復帰してから15年間。多少の不調はあったものの、一応つつがなく生き抜いてこられた。
しかし2010年の夏に母が倒れた。東京に迎えて半年ほど闘病の末、その歳の暮れに母が肺がんで死んだ。その2日後に胃癌であることを告げられた。62歳になっていた私はこの辺が寿命かなと覚悟した。ところが、早期発見という幸運にも恵まれ、かなり早く現場に復帰することができた。その2011年の早春、私は上野の画廊で取材しているとき、これまで体験したことのない大きな大地の揺れを感じた。それはすぐに収まらず、(主観的にはおよそ15分ほどの)鈍い振動が続いた。東京が終わる、私も終わるという恐怖をいだいた。・・・あの未曾有の大震災は被災地だけでなく東日本の各地に深い爪痕を残す。それは今も続いている。
このようにして、私は幸運にも生きている。生き延びて、本日66回目の誕生日をむかえた。
追加
なぜこんなことを書いたかというと、COCO壱番屋でカレーを食べたからだ。この店の本社は愛知県尾張一宮にある。タマキさんの実家は、その町の由緒ある古刹で、そのお寺で盛大な葬儀があったことを、カレーを口にしたときまざまざと甦ったのだ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング