空梅雨のふるさと
敦賀の実家の庭には今アジサイが盛りだ。
林ひろみという市井の歌人の歌が目にとまった。
大和より 唐に渡りし あじさゐを 紫陽花(しゃうくゎ)とよび 愛でし白居易
前から、アジサイは日本の花とは聞いていたが、中国に渡って紫陽花と白居易に
よって命名されて愛でられたとは知らなかった。
ヨーロッパではこの花の学名はOTAKUSA(オタクサ)だ。これは、愛人のお滝さんからとってシーボルトが名づけた。お滝さんは長崎ではその美貌が今も語り伝えられている。鳴滝にあったシーボルトの居宅の周りはさぞアジサイが見事だったのだろう。
敦賀の町は地下水に恵まれていると、前回記した。碩学、桑原武夫も少年時代の思い出として書いている。
彼は父祖の地敦賀には学校が休みになるとよく訪れた。特に、夏休みで京都から敦賀へ3時間以上かけて汽車で戻るのが好きだった。蒸気機関車で山越えしてくると、煤煙でシャツも顔もすすだらけになる。敦賀の駅を降りて駅前の広場に一目散で駆けていく。掘り抜きと地元で呼ぶ湧き水の水飲み場だ。清冽な水を一息で飲み干し、顔をジャブジャブと洗い手拭でふく。
身も心も洗われる思いがした、そう桑原は書いていたと記憶する。
この掘り抜きを利用した甘味が作られている。葛マンジュウの一種で「水泉まんじゅう」呼ばれている。葛に包まれた餡をお猪口に盛ったマンジュウだ。それを冷たい掘り抜きで冷やす。喉越しがよく、つるりと胃に落ちていく。土用の暑い日などは絶妙の味がする、と私は思ってきた。

水泉マンジュウは杯に盛られたが、今はプラスチックの容器に変わり、掘り抜きで冷やすのでなく冷蔵庫で保管される。名前は昔のままだが、味も少し変わったのではないだろうか。私には似て非なるものに思えてならない。昔、掘り抜きの水中にゆらゆらと冷やされていた、蛙のタマゴのような水泉マンジュウが懐かしい。
――町も変わった。通りから人は消え、商店街も閉じた店が増えた。車社会となったのだ。船にしか交通の便がなかった村々に、今では贅沢なゲンパツ道路が通っている。
掘り抜きも露天のものはほとんど見なくなった。
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