定年再出発 |
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比治山の雨に別れて以来なり
広島時代の戦友が1月4日に亡くなった。訃報を聞いたのは昨夜のことである。 48歳という若さで彼女は昇天した。この10年、その人はずっとアトピーから来る舌癌、食道癌と闘ってきた。病に次ぐ病の日々が続いていた。ある意味でやっと彼女のもとに休息が訪れたと言えるのかもしれない。 広島へ赴任した1992年の秋、喜多素子さんと出会った。ボーイッシュなしなやかな体つきが印象に残った。特技はダンスと履歴書に記されていた。番組制作の補助スタッフとして私のチームに参加してもらうことにした。20人ほどいたディレクターたちの庶務的な役回りを担当してもらった。本職は創作ダンスの指導者であったが、それだけでは広島では食えないので放送局でアルバイトをすることになったと後から聞いた。 喜多さんの何事にも動じない泰然とした性格は誰からも信頼された。事務的手続きや備品管理などは言われた以上の仕事をこなし、小ウルサいディレクターたちからも一目置かれた。やがて、彼女のなかに表現する高い能力があることに気づいた。私は広島局専用の編集ウーマンを、彼女を通して育成したいと考えた。彼女に映像を編集する技法を少しずつ教える。頭のいい彼女はすぐに覚えた。 案の定、彼女は3ヶ月も経たないうちに才能を発揮しはじめた。15分のローカル番組などを次々に作り始め、ついには45分の中国管内放送の作品も手がけるようになった。3日や4日の徹夜などはへっちゃらというタフな女性編集パーソンになっていった。英語が堪能であったので、海外との共同制作の作品も彼女に任せた。イギリスのBBCと組んで作った「ガイガースィート/ガイガーサワー」もその一つである。広島発の番組巻末のロールテロップに彼女の名前が出ることも少なくないようになった。育成方針が間違っていなかったことに私は内心得意であった。 ある日のことだ。喜多さんは思い詰めた顔で相談に来た。やはり編集パーソンは荷が重いからやめさせてほしいというのだ。驚いた。補助スタッフと格段に違う収入も保証されるようになったというのにその既得権をあっさり放棄する彼女の恬淡とした生き方に度肝を抜かれた。彼女はダンスの道をもっと極めたいと考えていたのだ。再び補助スタッフとしてディレクターたちをサポートする側に回り、その傍ら創作ダンスの指導者としての道をゆっくり歩むようになった。 1995年に私は東京へ戻ったあとも、喜多さんは広島局でしばらく働いていた。 21世紀になった頃、体調が思わしくないということで自宅に帰って療養するようになったという噂を聞いた。やがて舌癌を発症し、千葉の放射線治療の専門病院に入院した。治療を半年ほど受けたあと、広島へ帰ることになった。その際、銀座で食事でもしようよと誘ったところ応じてくれて、資生堂のパーラーで1時間ほど歓談した。長期の放射線治療をうけたせいか、彼女の顔色がドス黒く変色しているのが気になった。それでもそのときはまだ快活な笑みを見せてはいたのだが。 2年前、広島美術館へ取材交渉に行ったとき、その建物のある比治山公園で待ち合わせをして会ったことがある。その日は夏の始めの夕立が降った。傘を持たない私はずぶ濡れになっていた。ぬれねずみの私を見て喜多さんはにやに笑っていた。相変わらずのせっかちで慌て者だとでも思ったのだろう。食道に異物が出来て不自由だと言いながら、食品メーカーが主催するパンケーキのコンクールで入賞したことを嬉しそうに報告してくれた。元気そうで安心した。 あれから会っていない。年末に気になって電話をしたところ、声がほとんど出ない状態にあることを知った。舌ガンと食道ガンに挟撃されていた。ただならぬ様子に、私は別途母上に連絡をとり様子を聞いた。緩和治療を受けることになったと母君は答えた。死期が迫っていることを、私は知った。 そして、昨夜の訃報となった。 本日、広島で喜多素子さんの葬儀が行われる。心より冥福を祈る。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
by yamato-y
| 2014-01-07 09:19
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