じじい部隊
昨夜、震度3の地震があった。あわてて起きてテレビをつけて震源地を確かめた。
房総の内陸部が震源地のようで津浪の心配はないということで一安心。そのまま眠られずテレビをぼーっと見ていたら、仙台放送局が制作した福島原発被害のドキュメントが始まった。立ち入り禁止区域となっている大熊町で活動する役場のOBたちじじいの物語。
60の定年をむかえた7、8名の男たちが、放射線の被害も厭わず現地に留まって、盗難防止や除染作業のデータ収集などを行っている。自らじじい部隊と呼んでいる。
妙な悲壮感もなく、淡々と実務をこなし、村の将来計画を冷静に見据えていこうとする彼らの姿勢に静かな感動を覚えた。
私と同世代ということがなにより共感する理由ではあるが、雑草を刈ったり立木を切ったり肉体労働に勤しむ姿は美しい。ひるがえって、同世代の都知事のあさましい弁解する記者会見を思い出すだに吐き気がする。若い世代がわたしらのことを「団塊のくず」と罵倒していることを先日週刊誌で知ったが、都知事を見ているとそういわれても仕方がない。
話を大熊町じじい部隊に戻すと。除染が少しずつ進んで、帰宅する日も遠くないという見通しをリーダーが語っているのを見て複雑な思いをもった。原発から1キロも離れていない大熊町の表土の放射能が多少減衰したとしても、住民が大挙して帰宅することが可能だろうか。おそらく人が暮らしていくほど回復するのは数百年かかるのではないか。
ところが住民の気持ちを代弁するじじい部隊のリーダーは早晩帰宅できるだろうという見通しをもっていることに切ないものを感じた。
このドキュメントは汚染地帯の苦境を強調することなく、ユーモアをまじえた希望を語ろうとする姿勢にはおおいに共感するのだが、見終わったあとの印象はなんとも苦いものが残るのだった。
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